やまさんの読書ブログ

やまさんが本の紹介してるブログでした。いまもしてます。


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ども。

 

近況報告も兼ねて。

 

誕生日を迎えて、どう言い訳しても大人としか言えないような年になりました。

いまだに未成年と間違われますけど。ここまでくると見た目服装が子供っぽいってか。

波乱万丈の一年間をなんとか生存したのでほっとしています。いました。

学業と仕事の2足のわらじのうちは楽できないんですよね。そのうえサークルが被ってくるので手すら足りない。

順調に行けば後1年半、人生の夏休みを満喫していこうと思います。ほんと忙しい夏休みだこと。

 

前の記事を見ると、物語論に興味があるようなことを書いています。

この物語論と呼ばれる分野、大きく分けて2つの領域に分かれます。

一つは、物語哲学と呼ばれる、理論的な分野。

「誰の視点」から、「いつ」語られた「どのような」物語か、なんて、物語に切り込む理論を筋立てるのが彼らの役目です。不勉強だった場合に備えて謝罪の意を示します。

もう一つは、物語論こと批評の分野。実践。

実際に書かれたテクストに、理論と自らの立場から切り込んで新たな読みを示します。

正直この分野、一体何の意味がとは思うところです。即物的に役立ちはしないよなぁと。当たり前ながら。

新たな読みを提供し、テクストへの見地を深めて、どうするんだろう。これ怒られるやつかな。

何をして物語論を学問分野足らせているか、わかるくらいまでちゃんと勉強しようと思います。

 

 

久しぶりにブログを更新しようとしたきっかけです。芥川賞受賞したそうですね。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

どんどん話題になってるけど、読む時じゃないよなと思ってて手出してませんでした。

というか恐らく読まないつもりでいました。来世で読もうとかなんとか。

読んだきっかけは、本棚の整理で出てきたこの本のことを思い出したからです。作者が同じ。

タダイマトビラ (新潮文庫)

タダイマトビラ (新潮文庫)

 

 

この本、『コンビニ人間』に負けず劣らずの厚さなんですけど。薄いと言いたい。

内容が次元超えた激しさなんですよね。少ない語彙を捻りだす。

 

取り敢えずのテーマは家族物語になるんでしょうか。

家族の愛が得られない子供の話、なんて筋は、最早チープです。

私たちの生きる世界の方が百倍現実的ですからね。

もう、フィクションの小説で何かを問えるほどのテーマでは無くなりつつあります。

しかもこの薄さかよ、と思いながら読んでたんですけど、電車の中で読み進むうち、いつしか怪しげな雰囲気だけを感じさせながら物語は進んで行きます。

明確な伏線や、転換点があるわけではないけど、何をか感じさせるような。

そして、その雰囲気を纏ったまま進む文章は終盤のある一文で本性を表します。

そこから先は怒涛、まさに私たちの生きる世界すら変える世界観へと達します。

哲学的、に似た雰囲気はあるんですけど、哲学でも無いですよね。かと言って現実で打ちのめすわけでもなく、ただただ世界観が変わるのみ。

この本、2件しかブログ書かれてないのが意外すぎて。ニコ動で言えば#もっと評価されるべき 作品だと思います。もしくは作者。芥川賞取ってましたね。評価されてるわ。すごい。

これは別件ですが、この本を読んだ人が、この結末をハッピーエンド系ととるかバッドエンド系ととるか、に興味があります。読んだ人、いらっしゃったら是非教えて下さい。

 

長い前置きを経て。本題。『コンビニ人間』。

 

帯には「現代の実存を問う」なんてコピーが書いてありますけど。どの層に訴えかけてあのコピーなんでしょうね。80年代の古き良き理論武装を感じます。哲学アレルギーのあなたにも簡単にわかる「現実存在」。

芥川賞まで受賞してしまえば、ネットには意見感想批評の類が溢れかえります。そんな文章群をみて、この作品に「反抗期み」を感じたあなたが正しい。と思います。私は。

 

余談。

芥川賞受賞作品で面白さがあるのって珍しいですよね。一瞬直木賞と間違えたかと思いました。

 

この本の文学的技巧等々についてはよくわからないんですけど、このテクスト、あまりに読者が一言申したくなる社会?問題が盛りだくさんなんですよね。念のため、「良くわからないけど馬鹿ほど真理に近い」系の意図は無いです。その信仰は嫌い。

おそらく、「普通」までを問われて一切共感出来ない読者はいないでしょうよ。大体の読者が、無意識に、何かしらを読み込んでこの本に向き合うわけです。そして、書かれた以上の何かを読み出す。

読者を飲み込んで、書かれていないことまで読み出させるほどの裾野の広さと、力をもった物語ってすごいなと思います。特に論拠はない。

 

余談その2。

主人公、合理的です。対比すべきは感情でしょうか。感情の余地を感じさせないほどに合理的。

多分、生理的に、この主人公を受け入れられずに読破を断念する人がいると思うんです。

まともに道徳を積んでいれば、公園で死んだ小鳥を焼き鳥にして食べようとする3歳児(でしたっけ)は受け入れられないはずです。ちゃんと、家族の好物が焼き鳥であることを考慮したとしても。

でも、主人公の方が現実的だと思うんですよね。

ある一つのきっかけから、家族全員の幸福を願うか、道徳的感情を抱くか、私は前者が自然だと思うんですけど、いかがでしょう。自分で言ってて無理な気がしてきた。前者を選択する余地くらいにしときます。

哲学書を読む際の必須スキルの一つに、実際に使われている文脈ではなく、文章上の論理関係からその単語の意味を判断する、というようなものがあります。これがないとカントが読めん。

そんな、主人公から哲学に通じるものを感じたというだけの話です。話が長い。

 

今学期、特に倫理について学ぶ授業が多いです。そこら辺について考えてみようと思います。

 

 

 

ども。

 

どうも物語論が自分のしたいことに最短経路らしく、大学ではその勉強をしています。

しかし勉強していると、読み書きの意味が分からなくなってくるよなぁ。虚無虚無。

どこぞのイスラームが国境の国では、職業小説家がいるにも関わらず、小説が読まれないんですって。

なんでも、コーランに全て真理が書いてあるのに、被造物が書いたものから真実を知る必要はないからだとか。

意味や因果を見出す方がパラダイムの周回遅れなのかもしれませんね。

パラダイムってこんな意味で使わない気がするな。特定の時代の特定の地域の常識って意味で書きました。

 

 

今年も恒例の演奏旅行を終えました。

今年は立案引率だったので、精神的には楽でしたね。人任せが得意でないので。

その分計画立案交渉引率する手間かかったけどな。実質手間なのは引率なので。

なぜか生徒が行程立案することになってて驚きました。プロに丸投げ。

それでも反省点の塊なので来年に向けて、記録しておかないといけませんね。

素晴らしいことにマニュアル完備なんですけど、原案が10年以上前、かつ口伝併用なのでいい感じにマニュアル書き直さなければね。マニュアルあるなりに困ることはあります。

 

演奏旅行のお供。

 

 

人間失格

人間失格

 

 これこれ。新潮社の、黒い表紙に赤い箔で文字が書いてあるやつ買いました。

表紙買いはありますよね。

 

もう一冊。

 

ポケットに名言を (角川文庫)

ポケットに名言を (角川文庫)

 

 これこれ。寺山修司。「ことばを友人にしよう」。

表紙と人物イメージがあんまり一致しない感じで逆に気になりました。何を狙ってこの表紙なんでしょう。

 

三冊目。読んでないから省きます。

 

神の亡霊: 近代という物語

神の亡霊: 近代という物語

 

 思想系の人で、フランス第x大学に留学してたら割と個人的に文章が好きなのではないかと言う推論を。読めてないけどな。忙しかったんじゃ。

 

太宰治寺山修司も、高校の時に近代文学が専門だった先生に習ったのである程度は知ってました。専ら歴史秘話ヒストリア

世間のイメージみたいなものの提示もあって、かつそうでない例の提示もあって、受け取り方は自由、みたいな先生だったのでありがたかったと思います。無駄にイメージがつかなかった。

そのおかげでと言うかなんというか、太宰に鬱々しいイメージついてるのがよく理解できてなかったんですよね。授業では『ヴィヨンの妻』『桜桃』を扱ったので。

読んでよくわかりました。これはあかん。

よく使われる表現に、「通奏低音のように○○が響いていて…」がありますけど、基本的にこの本通奏低音で構成されてますよね。メロディー不在ハーモニー不在。倍音構成はかろうじて変わる、みたいな。

感想書くふりして自分語りする輩が嫌いなのでそこらへんの言及は控えますけども。

後書きには、作者論的に、太宰の精神の自叙伝である、みたいなことが書いてありました。違うと感じたからわざわざ書くんですけど。

ここまでフィクションとして高度に構築されたものを、作者が自らを述べた自叙伝として読むには無理があるよなぁと。それだけです。

しかし、『こころ』並みに読まれるのはわかる気がします。一時期には中高生の麻疹のようなものとまで言われてたらしいですけど。そりゃ飲み込まれるわね。

 

寺山修司。別名を言葉の錬金術師とも。

この人の言葉のセンス、言葉に対するセンス、が好きなんですよね。内容云々ではなく。

物語言説から物語内容は生み出されるらしいですけど、このレベルまでセンスもった人だと、どんな現実を書いても魔法になる。

そんなレベルの人が選んだ箴言集だそうで。つい。気づいたらレジに。

箴言集と言うと、旧約聖書箴言(コヘレトの言葉)だったり、超訳〇〇の言葉シリーズが思い浮かぶんですけど。もしくはロシュフコーとか。

個人的には、箴言集の類は、言葉を排して現実を暴き出すものと、言葉を弄して現実を覆い隠すものと、の二つに分けられると思っています。いました。どっちにしろ上から目線。

これどっちでもない気しますね。ただただ圧倒的脳内書庫から言葉を集めて、そこに意味を見出す(させる)、のような。むしろ箴言集かどうかを疑うべきか。

選語のセンスももちろん抜群で。短い言葉の中に、多く含みを持った言葉が並んでいます。これ、嫌いな人は嫌いだろうな。マザーグースに楽しみを見出す人は大好きそう。

 

「名言」などは所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨てていく、といった態のものであることを知るべきだろう。と、後書きにはあります。何かに固執しがち。

 

色眼鏡を外して

ども。

 

事の発端は一週間前。

小さい頃に暗闇で、寝転んで本を読む癖があったために、右目の視力がマイナス3桁台なわけです。

メガネがないと生きられない身体。

なのにメガネを失くす。

ベッドサイドに置いていたものが忽然と消えている。

しばらく探しても一向に見つからない。

講義があるので仕方なく大学へ向かいました。裸眼のまま。不安にすぎる。

 

コンタクトなりレーシックなり、も選択肢としてはあるんですけどね。

自分の身体に何か、他の物を入れるのが怖くて仕方ない。

カラーレンズをファッション感覚で入れ替える人が本当に異星人に見えます。怖くないのかね。

 

なんとか大学へ向かいました。

普段慣れた道が全然見えないんですよね。

例えば、信号。

辛うじて、色は知覚できます。冗談抜きで赤のイデア

横断歩道が見えない。白と黒の差は辛うじてつく。そんなレベルです。

 

そんな感じで1日を過ごしました。

 

そんな中で気づいた事。

 

モネ画集: きらめく世界 世界の絵画

モネ画集: きらめく世界 世界の絵画

 

今日行った古本市でフランス印象派の画集買ったんですけど、例によってAmazonになかったので似たものを。

大学の講義で芸術史を一通り受けてから、印象派らへんが好きになりました。

講義で多用されるびじゅチューンが印象的。

 

 

それはともかく。

 

 

私は普段からパソコンやiPadを多用するので、メガネにブルーライトカットの加工をしています。

そんな中で、メガネを外して、みた空がとても綺麗だったんです。颯爽としていて。滔滔たる青。

 

 

 

滔々と紅

滔々と紅

 

これは紅。タイトルのセンスがものすごく好きです。

齢9歳にして売られた時から、年を経て買われるまでの吉原遊女の心持ち、ここまで鮮やかに想像できるかよ、というような。

そんな内容の本です。正直面白かった。新人賞に文豪が殴り込みに来たような。

 

 

10年かけてて全く気づかなかったんですが、どうも、レンズ自体が黄色に着色されていたようで。

全ての青みがカットされるんですね。視界が透明で驚きました。

文字通りの色眼鏡。別に偏見云々の話ではなく。

今でもたまに綺麗な空を、メガネを外して見るようになりました。

浮かぶ子雲の仔細はどうやっても見えませんけど、空の青は良いものですね。

上の画集の表紙、モネの「日傘をさす女」のような空をいつか見て見たいと思っていたら、意外なところに答えがありましたとさ。メガネを外そう。

 

空は、今日も、青いか? (集英社文庫)

空は、今日も、青いか? (集英社文庫)

 

娼年』で話題の石田衣良、の初エッセイ集。

中3当時は気軽に読み進めましたけど、今読むと何度も立ち止まりますね。

思えば5年、たった5年でも、多感な大学生には色々思うところが多いようです。

『滔々と紅』もそうですけど、いつのまに文庫化したんでしょうね。昔読んだ本を再読したい。

狂ったように速読してたので。今読むと、どんな感想になるのやら。

 

後日談。

ベッドの最奥部からメガネが見つかりましたとさ。

どうやって落ちたかとんと見当がつかぬ。ありがたいありがたい。

セレンディピティ

ども。

 

セレンディピティという単語はご存知でしょうか。

 

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 

 

端的に言えば、「(全くの)偶然から何か良いものを得る」というような意味です。

有名どころで言えば、ペニシリン発見のストーリーがまさにセレンディピティそのものですね。

カッコに入っているのは、私がその意味で使ってないからです。

 

セレンディピティ」は、『セレンディップの三人の兄弟』から名付けられた造語です。

ホレス・ウォスポールなる政治家の造語。ゴシック趣味おじさん。

趣味が高じてイギリスにゴシックリバイバルなる嗜好を引き起こした立役者です。

ゴシックリバイバル(運動?)は、新しく「(ゴシック)ホラー」なるジャンルを生み出しました。

彼のおかげでこんな本が、それが変じていったSFまでもが、生まれたと言っても過言じゃない。

 

オペラ座の怪人 (角川文庫)

オペラ座の怪人 (角川文庫)

 

 

そんな人です。トリビアを披露したかっただけ。

ちょっと調べただけでも、この人からファンタスマゴリアとかに繋がってくるんですね。

文化史したい。

 

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

 

 

フランケンシュタイン』なんかも、彼のおかげで生み出された作品でしょう。元を辿れば。

今批評の理論を学んでいるのでメモがわりに貼ります。いつか読む。

 

閑話休題

 

そんな感じで、意図してセレンディピティみたいなものを引き起こすのが好きです。

いやいや神社でくじ引くのと一緒じゃん、

って話でもあるとは一瞬思ったんですけど、くじの内容を反映させないのであんまり意味がない。

し、そもそも有益を引き起こさないから当たらないとも思いました。言い訳。

 

今回のセレンディピティは書籍くじ。本題までに1000字を使う男。

500円払ってくじを引くと、対応した番号の本がもらえる、なんて仕組みです。

書いてて本当に神社の御神籤との違いがわからなくなってきた。紙の枚数増えただけの御神籤とも言えるよな。当たる本によっては。

どんな本も活かして見せるというスタンスではあるけども、自分の専門外かつ専門書が当たったら活かしようが無いわけで。ギャンブルギャンブルしてる。

本題までに1200字を費やす男。

 

書籍くじなるものを引いてきました。一応ギャンブルでない根拠はあったわけです。

一時期流行ったような本があるのがわかっていて、状態も美麗、かつ、ハードカバーなのに500円、といえば大手古本屋で下手なの買うより安いわけです。

しっかり自由価格本ってオチではありました。商売がうまい。

前述の特徴からして自由価格本じゃないと思ってただけに、少し残念。

本題の20文字に対して脇道で1400文字を書く男。

 

二回引いて、一回は金のキョロちゃん缶を引き当てました。特賞的ポジション。本じゃないんかい。

誰しも金銀のキョロちゃんを探した思い出と心残りがあるでしょう。私は20歳で消化しました。

まだ話を引っ張る。

 

もう一回。

 

田中将大から学ぶ負けない「気持ち」の創り方

田中将大から学ぶ負けない「気持ち」の創り方

 

 

こんな本が当たりました。

啓発本に当たるんでしょうか。田中将大箴言集になるんでしょうか。そんな感じ。

目次と内容があってなかったり、大いにテクスト性を感じられる素晴らしい解釈だったり、お前売るためにこの名前だしただろ、みたいな感じの本ではあるんですけど。

 

基本的には、啓発本には突拍子もないことは書いてありません。龍も呼ばなければ神にもすがらない。

「啓発本とか、当たり前のこと書いてるだけじゃんw」が真実です。中学生の時言ってた。

当たり前、を実行することが難しいんですよね。年経ってやっとわかったよ。勝手に。

ともすれば思い出すことすら難しくて、啓発本に頼る羽目になるんですけど。

それでも、当たり前をすることが大事なんですよね。多分。

ゼミの先生は、「当たり前を当たり前にするのが実力」って言ってました。

そういうことなんだと私も思います。さあ実力つけるぞ。2000文字。

 

 

やばい

ども。

 

やばい。

その一言に尽きます。

 

一応ながら「読書ブログ」の名を冠するブログの主なわけです。

中学高校の頃は10分で100ページ超を読み、1日で10冊をも読んでいたヤツが。

1日も欠かさず更新をして年間に365冊を紹介していたヤツが。

今や月に10冊読むか読まないか。  やばいやばい。

どうしてこうなった。

 

一つ。言葉を扱う環境が変わった。

ローコンテクストな文字を投げ交わして友人や文面と相対していた男子校時代とは打って変わって共学へ。

言葉の些細な機微を仔細に読み穿ち、果ては表情や手振りまでテクストと化すハイコンテクスト空間。

本どころか、現実に適応出来ずに暫く右往左往する。当然、読書にかけられる時間は少なくなる。

ただでさえ授業時間も内容も倍になった上にこれではね。

 

一つ。サークルにはいっ(てしまっ)た。

合唱を始めてしまったので、本より楽譜を読む時間が増えた。

ちゃんとした読み方がわかれば楽譜も結構読んで面白いもので、

曲についての歴史、歌詞のテキストの歴史や変遷、

和音の表す表情や意味、音楽修辞など、一曲の楽譜から読み出せるものは多く。

正直はまるよね。

まともに芸術・芸能と向き合ったことがないので余計に。

オウム真理教にはまった若者たちを佐藤優?が「勉強ばかりで毒(文学の)に触れておらず、耐性がなかった。」と『罪と罰』を紹介しながら言ってたのを読んだ覚えがありますが、そんなもんかもしれませんね。

 

 

 

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

 

ハマるものには程々に触れて、程々を覚えておかないといけません。教訓。

 

一つ。単純に時間が無い。

自分を取り巻く環境が激変しました。

起きて大学に行って講義を受けて、空き時間はサークルの雑務に追われ、

大学が終われば仕事場へ行って、帰れば家事が待っている。

どこに本を読む時間があると。もしくはショートスリーパーになりたい。

 

一つ。iPhoneiPadを買った。

物の見事に時間泥棒なんですよね。

娯楽へのハードルが異様に低くなった現代、要求される自制心は並大抵のものではありません。

青い鳥に時間を食われ続ける日々。

無くても困らないんですけど、あった場合に日常がこなし易すぎる。

リアルタイムで更新され続けるSNS活字中毒者にとって絶好のツールなんですけどね。

無限に物語が読める。ただ、流れてくるのは政治とハラスメントとオタクコンテンツ。

時間をかけるに見合うかと問うまでもなく。

 

そんなこんなで本を読む時間が失せました。

 

やばい二つ目。

 

時間が失せども読書欲は失せない。

結果、積ん読が溜まることになります。

そろそろ部屋の床が見えなくなる。

でも講義を受ければ読むべき本が増える。

そろそろ床が抜ける。

 

本で床は抜けるのか (中公文庫)
 

 

やばい三つ目。

本棚が足りない。

 

本棚のためだけにレイアウトを変更し、本棚に本棚を重ね、果ては押入れを本棚に魔改造したやまさん家。

そこまでしても本棚が足りなくなってきた。すでにリビングの床が埋まりつつある。

本を売ることに多大な抵抗があるんですよね。

必ず読み返すので。

 

そんなこんなでやばいということを報告しました。生存確認も兼ねて。生きてます。

 

 

2017年の12冊:3月編

ども。

 

三が日。も今日で終わり。

別に何事もない日ですが。

ただ日々を過ごすのみ。休みなのがありがたい。

一日中休んでたら

特に書くこともないのでそのまま三月編へ。

 

 

グッドモーニング (新潮文庫nex)

グッドモーニング (新潮文庫nex)

 

 

詩に走りました。

このころ確か詩に迷走してた時期で。

 

フランス名詩選 (岩波文庫)

フランス名詩選 (岩波文庫)

 

 だとか、

 

現代詩入門 新版

現代詩入門 新版

 

 だとかを読み漁ってた時期です。

 

なんか文学に限界を感じてしまったというか。

印象派とかそこら辺に嵌り始めたのもこの時期なので、何らかのリンクがあるのかもしれません。

虹の色が日本で七色英語圏で6色と言われるように、

文学が、文字が、記号が、世界を区分するのはそりゃ勿論なんですけど、

区分しきれなかったその場所に何か残ってる気がするんですよね。

そこにたどり着けるかのような。現代詩が。

例えば情緒であったり、感動であったり。

は文学では表しつくせなくて。

そこにたどり着くためには詩しかないかのような。

 

さて。

『グッドモーニング』。

著者の最果タヒと言えば、今の詩に全く知識のない自分にも聞こえてくる名前です。

そこで、

近代詩読んだし、次に現代の中でも今の詩はどんなんだろう、みたいな好奇心が半分。

ショッキングピンクにレモンイエローのキャッチーな表紙に吸い寄せられたのが半分。

そんなぐらいで手に取って買いました。多分。

 

名前が聞こえてくるだけのことはあります。すごい。

文学は、文字という記号を使って何らかを表現してしまうものです。

そこには一定の決まりがあって、それに従って記号が整列して、意味が成立して、表現が行われます。

この本の中の詩はその決まりを崩してしまって、かつ意味が伝わるように言葉を撚って、もう一度編んだかのような。

より鋭くとがって繊細な、それでも考えられない程に柔らかい人間の感情が。

 

この本、今調べたら10年前の著作の文庫化みたいですね。

この人は今どんな詩を書くんでしょう。楽しみ。

 

2017年の12冊:2月編

ども。

 

普通に一月二日過ぎてましたね。

起きるの19時で諸々してたからしょうがないっちゃしょうがないんですけどね。

寝たのが6時ごろなのでほんとに冬眠を感じずにはいられません。

春眠が暁を覚えないなら冬眠は宵を覚えない。

 

さて。

6時ごろまでずっとウォークマンの曲整理をしてました。

昔使ってたパソコンにほとんどの曲データがありまして。

それを何時間もかけて整理して移動して。って。

暫く触らない間にXアプリからMediaGoなるものに変わってたんですね。

時間を感じます。歌詞ピタを手作業で登録したりタイミング通りに歌詞が移るように設定したりしてました。

 

自分の音楽遍歴みたいなものが分かって面白いです。

どうもアイマスから音楽に入って、

流行ったJPOPの人たちのベストアルバムを聴いていたらしいです。

特にサカナクションとか西野カナとかももクロが多い。

サカナクションは今でも好きです。

そしてアイマスのミリオンライブに嵌ってほぼすべてのアルバム音源がある。

そして大学入って合唱音楽にはまって今に至る。と。今はジャズを覚えないといけないけど。

 

ま、今はappleMusicに課金してるんですけどね!

結構曲がそろってて便利だし、個人おすすめが頻繁に更新されるので新しい世界が広がります。

ただ、著作権切れの合唱音楽は聴けても、RADやらバンプやらはありませんからね。

そしてスマホウォークマンよりかは音質がよろしくない。

し、音楽を入れると容量が死ぬ。

なにより、夜に音楽聞きながら寝ると充電死ぬんです。

より良い眠りを過ごすためにウォークマンを買った次第でございます。

 

 39時間再生64GBは強い。絶対的正義。なお買ったのはブルー。

 

さて。

2月の本。

音楽の話にかこつけてこんな本です。

 

歌唱の仕組み

歌唱の仕組み

 

 発声キチガイと呼べるまでにずっとこんな本読んでまして。

なんで読んでたかと言いますと。

このころは、次期パートリーダーが決まったころです。そのために買いました。

 

余談。

普通の大学合唱団なら2年生でパートリーダーとかありえないんですけどね。

別に私が歌上手いわけじゃなくて、圧倒的人数不足。

大学合唱団ってどうやったら人はいるんでしょうね。

閑話休題

 

パートリーダーになる」ということは、その団体の奏でるハーモニーに、

指揮者と共に責任を持つことになります。

その中で、身近な責任として、同じパートに属する人たちの音取りをしなければいけません。

 

また余談。

他の合唱団どうしてるんだろう。パート員が自分で音取りとかしないのかなぁ。

閑話休題

 

音を取らせる、ということは非常に難しいことでして。

 

第一。

ピアノで音を取るべきメロディーを弾けなければなりません。

指が動くまで必死で練習しましたとも。何とかクリア。

未だに♭5つとかつくと弾けなかったりしますけど。

まぁ、これはパーリー個人の問題です。

 

第二。

自分に聞こえている、自分の発した音、と、実際に発している音は全く違います。多分、聞こえる音は実音より低い。

つまり、自分に聞こえている音、で歌われてしまうと、

だすべき音よりは低いのです。

でも、歌う人に聞こえる限りでは合っているように聞こえてしまう。

そのため、得てしてパート練習は苦行になります。

「音合ってんじゃん???」と言わんばかりの疑いの顔を向けられながら、

声を上に飛ばすだとか、声を喉で押さないとか、そういうアドバイスを言い続けるのみ。どっちも苦しい。

そして、この「アドバイス」が難しいんですって。

アドバイスをするためだけにこの本を買ったんです。5000円くらいしたのに。しかもハリポタ並みの分厚さで、読むのにも一苦労。

でも、それに資するわかりやすさ。があります。

アドバイスをするパートリーダーは、基本的には歌の上手い人です。他団体は知らん。

そして、歌が上手い人たちは得てして、感覚で歌声をとらえる傾向がありえん強い。

どうやったら歌が上手くなるのか聞いても、

「え~、なんもせんでも歌えんねんけどなぁ笑」「元から上手かったからわからんわ笑笑」とか言っちゃいます。

わかるかいな。それじゃ助けにはならないわけで。言語化しろよ。

その助けに言語化をしてくれる、ロジカルな本がこの本です。

本文1ページ目から声帯の解剖図とか、ロジカルにもほどがあると思いますけどね。

感覚で歌唱をとらえられない人たちの本であり、感覚でとらえちゃうがために歌声がレベルアップできない人のための本でもあります。

高いけどな。でも上手くなるために、上手くさせるために、5000円かける価値はある。

2017年の12冊・1月編 

ども。

 

交信が途絶えようともなんとか読書は続けています。

日常が忙しすぎて更新どころじゃないですね。

まぁ花の大学生だから仕方ないか。って感じです。人生の夏休み。休みが忙しいとは。

 

しかし、こんな今考えてみると、

毎日更新してた中学生の頃の自分、

どうかしてたのでは?

 

さて。

今年こそ読んだ本の記録もかねて更新したいと思います。

読んだペースだけなら一日3冊くらいは維持してるんですけどね。

果たして毎日書くのやら。

 

 

とりあえずは1月前半、去年読んだ本から12冊。1か月ごとに1冊。では早速。

 

1月。

 

夜をとめないで

夜をとめないで

 

 

しょっぱなから漫画かよ。別に悪いことでもないんですけど。

1月はそもそもあんま本読んでなかったんですけど、

それでも一番印象に残ってたのがこの本でした。 

 

恋愛マンガ。です。少なくとも自分が読むイメージはなかったんですけど。

きっかけは表紙でした。有名なヴィレヴァンの黄色地ポップの横にあったから余計、かもしれません。もしかして狙ってたんだろうか。

中身の話は普通の、不器用ですこし哀愁漂う大人の恋愛話って感じでした。叶う恋あり敵わぬ恋あり。ハピエンありメリバあり。

とにかく絵が美麗なんですよね。色使いも幻想的できれいで。

色が伝わってくる漫画ってあんまりないんですけど、この本は見ててありありと色が思い浮かびます。

そして顔。顔の描き方がめっちゃ好き。大人の人の顔には独特の輝きと影とあって(個人調べ)それがありありと伝わってくるんですよね。本と同じただの黒インクなのに、黒い文字では書けない複雑さが、深みが、

自然に伝わってきて、素直に受け取れます。

 

 

 

ども。

 

 

雑念。

何をするにも何を考えるにも勝手についてくるものです。

その最たるものは、私なら周囲の視線でしょうか。

もっと大きな枠だと社会的にどう思われるか、のようなものになります。対面かな。メンツかな。

他にも、個人の問題としては未来があります。こっちの方が将来上手くいく…や、今やめとけば将来…。

今私が生きているのは現実だと分かっていながらも、どうやら未来は来るらしいのでそちらへ意識が向いてしまいます。

未来は知覚できないのにね。不思議なことだ。

 

何が悪いか。

雑念は、物事の輪郭をぼやけさせるものです。それだけなのにそれが極悪すぎる。

沸いてくる雑念を見ながら、自分はこんなこと気にしてるんだなーーーなんてしてる余裕は普通ありませんよね。と書いたけど結構ある気がしてきたな。まあいっか。

 

物事の輪郭をぼやけさせる、と書きました。

それは認識される側だけで終りません。

認識する自分自身を段々見失っていきます。

今自分は何がしたいのか?今自分は何をしているのか?

 

 

…段々自己啓発本っぽくなってきてしまった。残念。

ブログ書いてて何ですけど、あまり文章書くの上手くないんですよね。

自分の書いた文章を効果的に添削する、とかそこらへんは得意なのに創造分野がからっきし。

それはともかく。もう少しだけ続きます。

 

 

そんな雑念から逃れる術があるそうですよ。

 

 

どうやら瞑想って言うんですって。

 

宇宙と交信とかそこらへんを想像されても無理はないと思うんですけど、そっちじゃないです。そっちも面白そうだけど。

最近流行りのマインドフルネスを想像して欲しかった。最近でもないな。そ

マインドフルネス。言ってしまえば「集中」の事なんですけどね。

今この瞬間に全力で傾倒して集中する。そんな感じ。

そのマインドフルネスの手段の一つとして、瞑想があります。

座って、目を閉じて、自分の呼吸に集中して。よく「自分の息に集中する」なんて言います。

吸う息や吐く息の流れは感じても、その息自体は感じることができませんし。この表現好き。

 

 

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

 

 そんなことをこの本を読みながら思い返していました。

家が仏教関係なこともあって、仏教には少し意識を向けています。

 

しかし今の仏教は…。葬式だけして…。法事だけして…。

日本の仏教は今、上に書いた通りに言われています。と私は感じています。

高校世界史程度の知識でもわかる通り、そんな宗教じゃなかったんですよ。

平安時代までは住職が死んだら即座に寺の前の川に流して、葬式は愚か、穢れを受けたとして物忌みするような宗教だったんですよ。鎌倉時代だったかな。ちょっと覚えが曖昧だけど。

 

じゃあ本道に戻ろう。

開祖の仏陀がしてたように、瞑想してみよう。

どうやって瞑想したらいいだろう。自分がより悟りに近づくにはどうしたらいいだろうか。どのような方法を使ってやろうか。

……この発想はどうでしょう?

瞑想する、までは勿論納得出来ます。その後よ。

仏教の根本、悟り体験。それは単的に言ってしまえば無の境地です。

そこに「自分が」「無理矢理」どんな「方法で」辿りつけるでしょうか。

雑念どころか、考える私すらそこに無い境地が悟りです。境地って言う言いかたも変ですね。状態か。

テクニックで辿りつくのではなくて、もっとラジカルに辿りつこう。

 

そんな感じ。私流に内容を翻訳してみたというか。

この本の中では、考える私、即ち雑念やその大元のことを「雲」と呼んでいました。

じゃあ、悟りは?  

 

「青空」です。

私に浮かぶ雑念を見つめてみようぜ。てな感じで。

 

それだけで終らないからこの本好きなんですよ。

その青空に辿りついた後よ。その人はどうなる?

是非読んで確かめてみてください。慣れてしまえば平易な本です。

 

追記。瞑想始めません?最初は5分くらいでいいのよ。楽になるよ。

ども。

 

案の定と言えば案の定、演奏旅行でダウンしておりました。

体力持ちませんね。10日で約1500km移動して8回のコンサートとか。

来年以降に向けて体力つけないとね。

そんな言い訳を。別にしなくてもいいのだけど。

 

春学期に演奏する曲はほぼ暗譜してしまったのが救いですかね。紙も一曲四五枚が20曲あると重いこと重いこと。肩が凝る。

定期演奏会を経てすぐに秋の曲が始まります。私の提案した曲の中からはNoёl Nouveletが通ったので嬉しい限り。

ヘンデルおじさんのオラトリオ・メサイアもあるしね。楽しみ楽しみ。難しいけどな。知ってた。

 

ふと我ながら思った。いつのまにこんなに合唱大好きになったんでしょう。十中八九聖歌隊に入ったせいなんですけども。そりゃそう。

モチベ―ションがどこから来ているのか不思議でなりません。ある種機械的にやってるのかもしれませんね。別に構いませんとも。

 

 

水の精(ウンディーネ) (光文社古典新訳文庫)

水の精(ウンディーネ) (光文社古典新訳文庫)

 

 演奏旅行中に何冊も本買って読んだんですけど、未だに咀嚼が終わらない本が多いんです。『ニルヤの島』とか。常々考えてることにヒントはくれたけどな。

なので演奏旅行前に借りてた本を。前置きが長い。知ってる。

 

余談ですけども、今時の人は何文字を長いと認識するんでしょうね。

さっきの長い前置きが70文字。ツイートならちょうど半分。LINEなら丁度7行。

LINEなら間違いなく長文と言われてしかるべき長さ。でもツイートだとちょっと微妙。3行と少しですかね。あまり長くはない気もする。

 

結局、普段使いのメディアによって感覚が変わるのかもしれませんね。

私は本が第一のメディアな上に速読持ちなので長文の基準が曖昧ですけども。

軽く5分ぐらいで書いてるこのブログも一記事1000文字ぐらい行ってますし。

 

閑話休題。何が言いたいのかよくわからなくなってきた。

 

ウンディーネ』。『水妖記』と言った方が有名かもしれません。私も知らなかったし。

著者はフケ―。あまり知らない人でした。クイズで聞いたことある程度。

 

この物語、名前だけ見ると幻想小説っぽいですね。でも読後感はメルヘンかなって。思いました。

正直どっちとも言ってしまいにくい。幻想小説の要件は満たしていて、メルヘンの要件も満たしているけども、どちらとするにもしっくりこないというか。

と思ってたらいい言葉をみつけました。クンストメルヘン。創作メルヘンとも。

幻想小説ほどの違和現実感は無かったですし、でもメルヘンにない人的な違和感はあったんですよね。この言葉で大体しっくりきた気がします。そんな雰囲気って話でした。

 

この本の特徴。おおまかに語り口調なところでしょうか。枕元で子供に語る母親の口調。どう見ても眠りにいざなう内容ではなさそうだけど。

そんな本は少なくないです。その中で特にこの本に光るもの。

13章冒頭、p131よりしばし引用します。

この物語を書きとめている作者は、この物語が自分の心を強く揺さぶったため、同じようにほかの人々の心にも届いて欲しいと願って書いています。そこでこれを読んでいる読者のあなたに、少しばかりお許し願いたいことがあります。この章において作者が、かなり長い月日の流れを手短に片付け、その間に起こったことのあらまししか語っていないという点を多めに見ていただきたいのです。(中略)書き手としては、こういったもろもろのいきさつをきちんと説明できればそれが一番ですし、またそうするのが筋だということは分かっております。しかし、それを書こうとすれば書き手の心も深く傷つき、哀しみが身に沁みます。

作者の人となりがわかるかのようです。実際に、中略部分では相当な重要事項が二言三言で流されていきます。

このシャープでナイーブな心をもって、全てに最大限の注意を払って書かれた優しい小説は一体どのようなものなのでしょうね。

 

続き。

出版されてヒットしたこの本を元に、「オンディーヌ」という歌劇?が書かれました。戯曲かな。

そして、その戯曲を元に、日本では女声/混声合唱曲「オンディーヌ」と言う曲が書かれています。

この本の中から私が感じたもう一つの要素、まるで夕暮れの雲行きのような、優しく構成されながらも不安定で流動的、水の精の名に相応しいこの情感は、語るよりもこの曲を聞く方が分かってもらえると思います。ぜひぜひ。