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ども。
さすがに一週間に一回は少なすぎるので更新をば。
毎日更新してた時期が嘘のようだ。
中学生が暇だったのか、それとも今が怠惰なのか。どっちなんでしょうねぇ。
卒論書き終わりました。明日提出です。
タイトルは「パノプティコンとネット社会の共通点」。
よくこんなテーマで論文書こうと思いますね。一年前の自分を殴りつけたい。
パノプティコンとは、ジェレミー=ベンサムが考案した監獄の一つの形です。
ドーナツの、食べる部分に、扉が内側をむいた放射状の牢屋があります。
ドーナツの穴の部分には高くそびえたつ看守塔。
この時重要なのは、牢屋からは看守塔が見えないが、看守塔からはいつでも牢屋が見えるようにすることです。
いつ見られているかわからない囚人は、常に自分を模範的な囚人となるよう律し続け、早く牢屋から釈放されようとします。もしくは、模範的でなければ刑期が伸びる設定でもいいかもしれません。
この状態をベンサムは作りだそうとしました。自ら自分を律する従順な囚人の完成です。
功利主義を信条とするベンサムからしてみれば、看守の数:囚人の数の比が非常に効率のいい方法であり、採用したかったわけです。結局ベンサムの働きかけでは実現しませんでした。が、のちに作られたりします。
これを見て、ミシェル=フーコーが色々言いだします。
看守塔の中に人がいる必要ないんじゃね?とか。
看守=権力、囚人=民衆に見えないか?とか。
色々言ってる中で、彼は一つ重要な発見をします。
それは、近代に初めて作られた、学校や病院のシステムには、全てこのパノプティコンが写されているのではないか?ということ。
たしかに、教師一人で40人を見る学校や、少ない医者で多くの患者を見る病院に導入されてる気もします。
しかし、彼が言いたかったことはそんな具体の段階ではありません。
「常に従順になるように自律を、本人の意図しないところで強いる」というパノプティコンの本質が、学校等の近代以後の施設にないか、と言っているのです。
私はその通りだと思いました。まる
それはともかくとして。
今回の論文のテーマは「逆パノプティコン」となっております。
逆、すなわち、監視される側である民衆が逆に権力を監視する、ということ。
ウィキリークスとかが直ぐに思いつくワードですかね。
そんな感じのことを書いておりました。まともに理論化に至らなかったのが残念。
むしろただひたすらに監視の恐怖を煽る文章だったり、根拠ガン無視の陰謀論的展開を見せたりしております。やっぱ難しいな。
読書ブログということで、本につなげましょうか。
ウィキリークスからフェイスブック革命まで 逆パノプティコン社会の到来 (ディスカヴァー携書)
この本ぐらいしかまともに逆パノのこと書いてる本なかったんですよねぇ。
子の本で主に言及されてるのは、ウィキリークスとジャスミン革命です。
どちらもいい典型例。これからパノプティコンは同時代に適応していくんでしょうねぇ。楽しみ。