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ども。
案の定と言えば案の定、演奏旅行でダウンしておりました。
体力持ちませんね。10日で約1500km移動して8回のコンサートとか。
来年以降に向けて体力つけないとね。
そんな言い訳を。別にしなくてもいいのだけど。
春学期に演奏する曲はほぼ暗譜してしまったのが救いですかね。紙も一曲四五枚が20曲あると重いこと重いこと。肩が凝る。
定期演奏会を経てすぐに秋の曲が始まります。私の提案した曲の中からはNoёl Nouveletが通ったので嬉しい限り。
ヘンデルおじさんのオラトリオ・メサイアもあるしね。楽しみ楽しみ。難しいけどな。知ってた。
ふと我ながら思った。いつのまにこんなに合唱大好きになったんでしょう。十中八九聖歌隊に入ったせいなんですけども。そりゃそう。
モチベ―ションがどこから来ているのか不思議でなりません。ある種機械的にやってるのかもしれませんね。別に構いませんとも。
演奏旅行中に何冊も本買って読んだんですけど、未だに咀嚼が終わらない本が多いんです。『ニルヤの島』とか。常々考えてることにヒントはくれたけどな。
なので演奏旅行前に借りてた本を。前置きが長い。知ってる。
余談ですけども、今時の人は何文字を長いと認識するんでしょうね。
さっきの長い前置きが70文字。ツイートならちょうど半分。LINEなら丁度7行。
LINEなら間違いなく長文と言われてしかるべき長さ。でもツイートだとちょっと微妙。3行と少しですかね。あまり長くはない気もする。
結局、普段使いのメディアによって感覚が変わるのかもしれませんね。
私は本が第一のメディアな上に速読持ちなので長文の基準が曖昧ですけども。
軽く5分ぐらいで書いてるこのブログも一記事1000文字ぐらい行ってますし。
閑話休題。何が言いたいのかよくわからなくなってきた。
『ウンディーネ』。『水妖記』と言った方が有名かもしれません。私も知らなかったし。
著者はフケ―。あまり知らない人でした。クイズで聞いたことある程度。
この物語、名前だけ見ると幻想小説っぽいですね。でも読後感はメルヘンかなって。思いました。
正直どっちとも言ってしまいにくい。幻想小説の要件は満たしていて、メルヘンの要件も満たしているけども、どちらとするにもしっくりこないというか。
と思ってたらいい言葉をみつけました。クンストメルヘン。創作メルヘンとも。
幻想小説ほどの違和現実感は無かったですし、でもメルヘンにない人的な違和感はあったんですよね。この言葉で大体しっくりきた気がします。そんな雰囲気って話でした。
この本の特徴。おおまかに語り口調なところでしょうか。枕元で子供に語る母親の口調。どう見ても眠りにいざなう内容ではなさそうだけど。
そんな本は少なくないです。その中で特にこの本に光るもの。
13章冒頭、p131よりしばし引用します。
「この物語を書きとめている作者は、この物語が自分の心を強く揺さぶったため、同じようにほかの人々の心にも届いて欲しいと願って書いています。そこでこれを読んでいる読者のあなたに、少しばかりお許し願いたいことがあります。この章において作者が、かなり長い月日の流れを手短に片付け、その間に起こったことのあらまししか語っていないという点を多めに見ていただきたいのです。(中略)書き手としては、こういったもろもろのいきさつをきちんと説明できればそれが一番ですし、またそうするのが筋だということは分かっております。しかし、それを書こうとすれば書き手の心も深く傷つき、哀しみが身に沁みます。」
作者の人となりがわかるかのようです。実際に、中略部分では相当な重要事項が二言三言で流されていきます。
このシャープでナイーブな心をもって、全てに最大限の注意を払って書かれた優しい小説は一体どのようなものなのでしょうね。
続き。
出版されてヒットしたこの本を元に、「オンディーヌ」という歌劇?が書かれました。戯曲かな。
そして、その戯曲を元に、日本では女声/混声合唱曲「オンディーヌ」と言う曲が書かれています。
この本の中から私が感じたもう一つの要素、まるで夕暮れの雲行きのような、優しく構成されながらも不安定で流動的、水の精の名に相応しいこの情感は、語るよりもこの曲を聞く方が分かってもらえると思います。ぜひぜひ。