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ども。
最近は明るい月夜が続いていますね。
満月に近い月は一層神秘的に見えます。
雲がかかっているとなおさら。
3行にして既に話の方向性を見失いましたね。何に持って行こう。
風景画が好きなんです。特に、月夜の。
アルヒープ・クインジやカスパー・ダーヴィド・フリードリヒらへんが特に。
気になったら見てみてください。ロマン派っていうんでしょうか。
ロシアのロマン派の人たちとか結構私の感性にキます。イリヤ・レーピンとか。
画集とか売ってないかなぁ。
絵が「ふるえるほど好き」になる―MAYA MAXXのロシアの名画と旅ガイド
- 作者: MAYA MAXX
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 単行本
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「画集 ロマン派 ロシア」で検索かけて出てきた本です。
ブログ書くたびに読みたい本が増える。
あんまり話が広がった感じしませんね。
そういえば行ったんですよ。今話題のフェルメール展。
こうやって話題を広げればいいんですね。適当な話題。
かろうじて入場制限かからないぐらいの込み具合でした。
フェルメールの描いた絵自体は10点も展示されてなくて、一番最後に。
イントロダクションとして、当時のオランダの各ジャンルの絵画が並びます。
予習をしてからフェルメール本番に挑める構成って言えばいいんでしょうか。
絵画には、書かれた当時の時流/お約束がありますからね。
ゆっくりと当時のスタンダードを学びつつ、イントロダクションも楽しみながらフェルメールに向かえる良い構成でした。
しかし光源左上に置くの好きですねこの人ら。
しかし、あまりの人の多さに驚いたんです。下手したら入場制限かかってたらしいですね。
開催直ぐに行ってるくせして私、正直フェルメールの何がいいのかよくわからないんです。
ここまで人をフェルメール、ひいては美術館に駆り立てるものって何なんでしょう。
私は性格がねじ曲がっているので
・フェルメールのネームバリュー
・執拗なまでのメディアミックス
・ここ最近の教養ブーム
・そのなかでも去年後半あたりから顕著な美術(館)に行こう本
・ここ2~3年の、暗闇と光に焦点を当てた絵画解説書
あたりが理由として思いついてしまいました。
積極的にフェルメールを求めているのではない、みたいな論調ですね。
「話題だから行っておこう」みたいな人が一番多いんじゃないかなーという主観です。
ザイオンス効果の為せる技。
そして、話題だから行ってみた人々は、絵画をどう鑑賞・経験するんでしょう。
例えば私は、大学や読書である程度美術史や技法を習ったので、それを用いて分析的に絵画を見ます。前述の、光源の位置とか。
象徴や構成など、読み解くための知識をもっているので、画家が見せたかった物語をほぼ再現することができます。中高の国語でいうところの、作者の気持ちですね。
美術展のキャプションでもある程度解説されているため、「絵画を(自己流に補完して)読み解く」といった経験が可能になるんでしょうか。
この前置きそこまで重要じゃないですね。もういいや。「話題だから見に行った人に限って絵は感性でるとか訳分らんことを言う」という主張が伝わればよいです。
私が気になっているのが、「感性」で絵画を見る人たちです。
絵画を外部知識で「読み解く」、絵画に自分を代入して「没入する」、絵画を材料にして「空想する」、絵画のある非日常の「空間を楽しむ」。
この辺りのなんとなくわかるんですけど、「感性」で楽しむって何なんでしょう。
コトバンクとかで「感性」と調べても、この場合の「感性」に当たる理解は見つけられません。二行前の文章みたいな鑑賞方法が、辞書的な意味での「感性」に近いでしょうか。
一番多い用例は、「前提知識を排して、自らの感性で鑑賞する」
と言ったものでしょうか。
この言葉通りには、
「特に何もしなくても自らには万能の感性が宿っており、それは混雑した美術展での流れ作業な絵画鑑賞にすら堪えうるレベルのものである」
という傲慢さがあります。ギリシャ神話とかで真っ先に殺されるタイプの人間ですよ。
傲慢さというより素朴さに近いよね。
その感性で受け止めたものの具体的な感想書いてみろよ。
というわけで導き出した結論は、「①絵画の見方なんて人それぞれだけど、②(流れ作業で10秒くらいしか見られず)満足に受け止められていないことを、③感性の一言でごまかすのは違うやろ」というようなものでした。
追加としては、「大して興味もないのに、商業に踊らされて美術館に行くようなやつのなんと多いことか」ぐらい言おうと思います。ビジネスライクですね。みんなで経済回していこうな。
最近よみました。ここで紹介することに表題以上の意味はありません。