私が殺した
ども。
群を抜いて重い記事だと思うので、心と身体が健康な時にどうぞ。
もしくは、死ぬことに良い感情を抱きかけた時。即刻ブラウザバックをお勧めします。
夢を見ました。
病気で死んだ母親がひょっこり家に帰って来て、
父は蘇らずとも、母と二人、母が亡くなる前の団欒。
奇跡の再開を喜ぶ二人。
普通の人がそうであるように、過去に暗いところもあるけれど、明るい人だから、
ギャグなんか飛ばして、好きな料理を食べに行って。
好きな海辺へ行って、その近くでお茶したりして。
こたつで鍋を囲んだりして。
現実にも慣れてくると、考える余裕ができます。
母はどうやって生き返ったのか。
母親はエンバーミングされていたはずなのに、どうしてその心臓が動き出したのか。
そもそも、母は火葬しt
気付いた時に、夢は覚めました。 考えるべきではなかった。
ファンタジーでは、夢=虚構に気付くところから物語が動き出す類型があります。
気付かなければ幸せだった、という後悔、
それでも現実から前へ進んでいこうとする意思、
本で読んでこそ文字列ですけど、実際に体験したら尊敬ものですね。
俺がこの手で火葬場に連れて行った。
そもそも死ぬ3年ほど前から躁鬱で、楽しそうには見えなかったし。
そもそも、病気じゃなくて、首吊りではなかったか。
私は指一本触れられず、警察の人に降ろしてもらったのではなかったか。
そこに気付いたのは、覚めてからさらに4時間後でした。
仕事の話が欠片も出てない時点で、フィクションだとわかっただろう、
と覚めてみればわかるんですけど、夢の中だと中々思い至りませんね。
思い至ったら覚めるしな。そこら辺の力学。
エンバーミングで保存、が夢に出てくると、この本の影響を思い出しますね。
もしくはこっち。著者の先生に最近会って話をしたし、こっちの方が影響してそう。
私の奉じる哲学思想は、人間は原理的に分かり合えず、一人とか孤独とかそういう存在である事を明らかにします。
たまに見かける「共感なんか幻想だ」みたいな言説がそうですね。
世界=外部に対する、私とあなたの受け取り回路は、
その経験によって全く違う回路が出来上がっているのだから、
もちろん一つの現実から、二人は全く違うものを受け取るはずだ、みたいな。
一つの映画を見て、仮に二人とも感動したとしても、
その感動の内実は二人で全く異なるもので。言語にする時点で感動の二文字に回収されたけど、みたいな。
また、共感するということは、
素朴には、現実を、二つの違う回路を通して出力したのにだいたい同じ結果がでた、
みたいな話に取られます。
でも、現実には、私は私の回路しか通せないのだから、
相手の言っていることを私の回路に通せた、言い換えれば、私の範疇から一歩も出ずに、
あなたの「現実→回路→結果」を理解して、かつ私も同じ「原因→結果」を産み出したよ〜!!みたいな言説が「分かる〜!」に凝縮されています。
厳密な意味で理解できているわけではもちろんないし、
相当傲慢な発言だと思います。お前に何がわかんねん、みたいな話になります。
でも、この言説は人間関係の基本です。今は。おそらく昔も。
相手の感じたことを認め、寄り添い、一人じゃないよと呼びかけ合う。
聖書の1ページ目にも「人が独りでいるのは良くない」って書いてるくらいですから。
おそらく、共感するのではなく、相手を認めて、でも違う意見を持つことも認める、
そんな感じのことが、共感の代替案になっているのだと思います。
相当難易度高いですよね。これ。とゆーか私これ、理性の奴隷だと思うんですけど。
相手を認めるだけの成熟度。感情に任せて相手の意見を否定しないだけの倫理感。自己統御。
文字にしてしまえば短いものだけど、各々に照らし合わせてもらえれば、
その難易度がいかに高いかわかっていただけると思います。
これらをクリアした時に、自ずと、原理的に人間は独りであることが分かってしまいます。
自分と相手の差異を認め、自分の範疇に相手がいない事を認めるわけだから。
最後に必要なのは、現実と独りで対峙し続けるだけの強さです。さながら一時たりとて気の抜けぬ戦場。
職場、家族、社会、ネット、自分自身、ひいては物理的な現実
…こんなこと考えずに、素朴でいた方が幸せだと思うんですけど。そんなオチを付ける。
そういえば、母の死には、不審な点がありました。
母は首を吊って亡くなり、司法解剖を経ても、不審な点のない縊死と認められています。
完全自殺マニュアル読んでたらそりゃ首吊りになるか。
コインを使うこともなく、身長と同じくらいの棒からでも、人は死ぬことができます。
発見時は著しいチアノーゼのみで、垂れ流しとか言うような状況ではありませんでした。
ご飯食べれてたはずなんですけどね。あと冷房入れてたみたい。
死亡予想時刻の1時間ほど前には、お手伝いさんと談笑しつつ。
検視と解剖で、時間にズレがあったのも確かですね。ズレてたことしか覚えてませんけど。
亡くなる日の朝に、珍しくミルクティーを淹れてくれたのを覚えています。
死ぬ日の朝に入れるミルクティーはどんな味だったんでしょうね。