やまさんの読書ブログ

やまさんが本の紹介したり音ゲーの話したり話をするブログでした。また更新し始めるかもしれません。


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ども。

 

 

雑念。

何をするにも何を考えるにも勝手についてくるものです。

その最たるものは、私なら周囲の視線でしょうか。

もっと大きな枠だと社会的にどう思われるか、のようなものになります。対面かな。メンツかな。

他にも、個人の問題としては未来があります。こっちの方が将来上手くいく…や、今やめとけば将来…。

今私が生きているのは現実だと分かっていながらも、どうやら未来は来るらしいのでそちらへ意識が向いてしまいます。

未来は知覚できないのにね。不思議なことだ。

 

何が悪いか。

雑念は、物事の輪郭をぼやけさせるものです。それだけなのにそれが極悪すぎる。

沸いてくる雑念を見ながら、自分はこんなこと気にしてるんだなーーーなんてしてる余裕は普通ありませんよね。と書いたけど結構ある気がしてきたな。まあいっか。

 

物事の輪郭をぼやけさせる、と書きました。

それは認識される側だけで終りません。

認識する自分自身を段々見失っていきます。

今自分は何がしたいのか?今自分は何をしているのか?

 

 

…段々自己啓発本っぽくなってきてしまった。残念。

ブログ書いてて何ですけど、あまり文章書くの上手くないんですよね。

自分の書いた文章を効果的に添削する、とかそこらへんは得意なのに創造分野がからっきし。

それはともかく。もう少しだけ続きます。

 

 

そんな雑念から逃れる術があるそうですよ。

 

 

どうやら瞑想って言うんですって。

 

宇宙と交信とかそこらへんを想像されても無理はないと思うんですけど、そっちじゃないです。そっちも面白そうだけど。

最近流行りのマインドフルネスを想像して欲しかった。最近でもないな。そ

マインドフルネス。言ってしまえば「集中」の事なんですけどね。

今この瞬間に全力で傾倒して集中する。そんな感じ。

そのマインドフルネスの手段の一つとして、瞑想があります。

座って、目を閉じて、自分の呼吸に集中して。よく「自分の息に集中する」なんて言います。

吸う息や吐く息の流れは感じても、その息自体は感じることができませんし。この表現好き。

 

 

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

 

 そんなことをこの本を読みながら思い返していました。

家が仏教関係なこともあって、仏教には少し意識を向けています。

 

しかし今の仏教は…。葬式だけして…。法事だけして…。

日本の仏教は今、上に書いた通りに言われています。と私は感じています。

高校世界史程度の知識でもわかる通り、そんな宗教じゃなかったんですよ。

平安時代までは住職が死んだら即座に寺の前の川に流して、葬式は愚か、穢れを受けたとして物忌みするような宗教だったんですよ。鎌倉時代だったかな。ちょっと覚えが曖昧だけど。

 

じゃあ本道に戻ろう。

開祖の仏陀がしてたように、瞑想してみよう。

どうやって瞑想したらいいだろう。自分がより悟りに近づくにはどうしたらいいだろうか。どのような方法を使ってやろうか。

……この発想はどうでしょう?

瞑想する、までは勿論納得出来ます。その後よ。

仏教の根本、悟り体験。それは単的に言ってしまえば無の境地です。

そこに「自分が」「無理矢理」どんな「方法で」辿りつけるでしょうか。

雑念どころか、考える私すらそこに無い境地が悟りです。境地って言う言いかたも変ですね。状態か。

テクニックで辿りつくのではなくて、もっとラジカルに辿りつこう。

 

そんな感じ。私流に内容を翻訳してみたというか。

この本の中では、考える私、即ち雑念やその大元のことを「雲」と呼んでいました。

じゃあ、悟りは?  

 

「青空」です。

私に浮かぶ雑念を見つめてみようぜ。てな感じで。

 

それだけで終らないからこの本好きなんですよ。

その青空に辿りついた後よ。その人はどうなる?

是非読んで確かめてみてください。慣れてしまえば平易な本です。

 

追記。瞑想始めません?最初は5分くらいでいいのよ。楽になるよ。