やまさんの読書ブログ

やまさんが本の紹介してるブログ、でした。いまもしてます。


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ども。

 

ついに買っちゃいました。

Blue toothのキーボード。

ちっちゃいですけど。

慣れるにはまだ時間かかりそうですね。

スマホのフリックより圧倒的に早いのがありがたいです。

 

ついに買っちゃいました。

占めて50冊。

大学生協で15%offだったので。

 

哲学系の本と小説を半々くらい買いまして。

いつかは買うことになってた本なので。

ベルグソンの入門書兼講演集とか。

 

 

精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)

精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)

 
思考と動き (平凡社ライブラリー)

思考と動き (平凡社ライブラリー)

 

 

サルトルのめっちゃ分厚いやつとか。

 

存在と無 全3巻セット

存在と無 全3巻セット

 

 

そこらへんです。

ずっと、何で哲学思想に心惹かれるのかよくわかってなかったんですけど、

おそらく、サルトルに始まる「まなざし」なんだろうなってことに気づきまして。

そこらへんのお勉強です。申し訳程度のレヴィナスも添えて。

 

小説の方は、ずっと気になってた米澤穂信の『満願』とか。

 

満願 (新潮文庫)

満願 (新潮文庫)

 

いつのまに文庫化したんだろう

住野よるのまだ文庫化しなさそうなシリーズとか。

 

青くて痛くて脆い

青くて痛くて脆い

 

で、最近きになってた彩瀬まるさんの本です。先に述べておくと、この人の文章が好きです(?)

 

骨を彩る (幻冬舎文庫)

骨を彩る (幻冬舎文庫)

 

短編集。通勤通学の合間にこまめに読めるから良いですね。

 

最初、この2冊をよんでこの作家さんにどハマりしたんです。

やがて海へと届く (講談社文庫)

やがて海へと届く (講談社文庫)

 
暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出 (新潮文庫)

暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出 (新潮文庫)

 

前者は多分幻想小説?になるんでしょうか。

後者はおそらくノンフィクションのはずです。

暫く考えたんですけど、この2冊は別個でブログ書きたいので置いときます。

 

今日書きたいのはこの本。

 

骨を彩る (幻冬舎文庫)

骨を彩る (幻冬舎文庫)

 

 

この本を読んだので。

5編の小説のつまった短編集です。

おそらく、小説間で世界観がゆる〜くつながっている。と思います。

 

彩瀬まるさん(のこの本)の特徴は、死に対する関心から現れてくる、死と生に関わる言葉の色みだと思います。

死に関する面だったら、この本の底に流れている、不可逆の「別れ」が思い浮かびます。

不可逆の別れはもちろん死んだものなんですけど、過去は現在に生きる私たちにとって不可逆の別れであり、取り戻せない死です。

そんな別れと、今生きる私たちの関係、というような。

 

だからこそ、この人の情景描写が、口にまつわる言葉であるのもうなづけます。

自己啓発やら心理学やらのNLPとかだと、人間は視覚/聴覚/触覚型の3タイプに分かれさせられますが、

 

「影響言語」で人を動かす

「影響言語」で人を動かす

  • 作者: シェリー・ローズ・シャーベイ,Shelle Rose Charvet,上地明彦,本山晶子
  • 出版社/メーカー: 実務教育出版
  • 発売日: 2010/08/10
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この人の描写は、特に食覚とでもいうような。

特に口での触覚、味に例える描写、そんなものが特に目立ちます。目立ちました。

人が赤ん坊として生まれて、自ら生き続けるために必要な始めての道具が口ですからね。その後も、口による食無くしては生きられないし。

 

そして、死から見えてくる生に注目するからこそ、この人は女性のためのR18文学賞でデビューしたんでしょうね。書いてて都合の良いストーリー付けにも思えて来た。この話やめよう。

 

何か自分自身に対する、たったひとつの根本的な問題を抱えて文章を書く作家さんは少ないんです。わたしの知ってる範囲では、ですけど。

なので、この作家さんに注目していこうと思います。

彩瀬まる。覚えた。

突発的饒舌解説ウィスキーレビュー(1) アードベック ダークコーブ

ども。

 

見てる人もずいぶん減ったと思うんですけど、最近いかがお過ごしですか。

私はですねぇ

体脂肪率が久々に30%を突破したり

下着屋さんの客引きの中華系のおねーさんから「オニーチャンメ↑ンズブラアル↑ヨ」なんて囁かれたりしながら日々を過ごしております。余計なお世話じゃ。痩せます。

 

タイトルの通り、突発的なウィスキーレビューです。本職なので。

今回飲むのは「アードベック(注4) ダークコーブ(注5)」。

ウィスキー(注1)のシングルモルト(注2)で、スコッチのアイラ(注3)の中では有名な銘柄です。

たった二行書くだけで注が5個つく世界線で仕事をしています。やってられるか

 

そもそもバーテンダーになった話をこのブログでしてないんですね。

バーテンダーになりました。大学生も継続中なんですけど。

家業を継いだだけとも言います。

以前の記事で書いたような出来事が起こったせいで若干20歳にしてバーテンダー兼オーナーとなってしまいました。草生える。生えない。

特にこれ以上書くことはないです。数えで2年目なんか、下手に知恵がついただけの初心者ですからね。なんか洋酒で困ったら聞いてください。ワインや日本酒はわかりません。

 

注1。ウィスキー。

小麦などの穀物を原料として、その中に含まれるデンプンを麦芽酵素で分解して糖分にしたもの。を酵母の力で分解してアルコールにしたもの。を更に蒸留して、より純なアルコールに近づけたもの。ほぼ全てが樽での熟成を経る。

注2。シングルモルト

大麦(モルト)のみを材料とするウィスキーをこう呼ぶ。スコッチの場合はさらに、「単一の蒸留所のみ」という条件が増えます。モルト以外には、グレーン(その他たくさんの穀物)だったり、ライ麦だったりコーンだったりがありますね。

注3。スコッチのアイラ

スコットランドで作られて、現地の法で認められたものをスコッチウィスキーと呼びます。

有名度だけなら他のどのウィスキーよりも高いんじゃないでしょうか。

世界5大ウィスキーという時は、スコッチに加えて、アイルランドアメリカ(バーボン)、カナディアン、ジャパニーズ、が加わります。

日本でこそ五大ウィスキーなんて言いますけど、海外ではほんとに日本加えて「五大!!!」なんて言ってるんだかどうなんだか。

最近は、インドや台湾、タスマニアニュージーランドなんてところでもウィスキーを作ってるところがありますね。ここら辺はいつか書きます。

スコットランドの中にもいくつか地方があって、その中に「アイラ島」という小島があります。

そこで作られているのが、アイラウィスキーです。

主に、麦に泥炭(の煙)を炊き込んでから作るため、燻製っぽいかほりがするのと、海辺で潮風を浴びつつ熟成させるせいで、潮やヨードチンキのかほりがするのが特徴です。正露丸とよく言われる。

他の地域にはない特色のせいでウィスキーも観光にも大人気の島になってしまいました

(注4)アードベック

「スコッチのアイラ」島に9つ(ほんとか?増えたり減ったりしてないか?)ある蒸留所のうちの一つの名前。

伝統的に、蒸留所名をそのまま銘柄の名前にするところが多いですね。

アードベックは、アイラの中では辛口(=甘くない、の意)、ドライ、高フェノール値が特徴です。

先程の「燻製」「潮」「ヨード」らへんのかほりの、含有量がめっちゃ高いやつです。

間違っても始めてウィスキー飲む人には飲ませられない。フリじゃないよ。

毎年6月はじめらへんに「アードベック・デー」を設定して、毎年一種類新しいアードベックのレパートリーを発売していくストロングスタイルな蒸留所です。

今年は「アードベック ドラム」でしたっけ。その名の通り(?)ラム酒の樽で寝かせた(注7)アードベックです。

注7 カスクフィニッシュ

ウィスキーは樽で熟成されて、樽の香りや成分が溶け出してあの味になる。

じゃあ、別のお酒入れてた樽を転用して寝かせたらもっと美味しくなるんじゃない!?的な。スコッチの技術。

シェリー酒(ワインの発酵中の糖分→アルコール過程で、アルコールを添加して甘みを残したまま発酵を完了させた酒精強化ワイン)だったり、ワインだったり、バーボンウィスキーだったり、最近だと、ラムやテキーラ、日本酒カスクなんてのも見ましたね。

たまに新興技術とか言われるんですけど、それには一応反論しておきます。

スコッチなんか、もともと密造酒だったのを、酒税の安いシェリー酒の樽に入れてたらなんか美味しくなったみたいな言われがあるくらいですので。

書いといて神話くささが半端じゃない。

注6 アードベック ダークコーブ

先述の一年に一本でる新作で、2016年に発表されたやつです。

出回るっちゃ出回るんですけど、そこまで量はないので、今だと末端価格2万円くらい。

ブログ用に検索かけたらプロモムービーとか出てました。

https://youtu.be/lFz2o3nljwo

「ダークシェリー樽」なる謎の樽で寝かせたそうです。ところでダークシェリーってなんなんですか。

 

本題までに2000字を費やす。見出しも何もつけてないから読みにくい事このうえない。

 

 

アードベック ダークコーブ。

 

もうフタ開けた時点でかおりが舞ってくるんですけど、まぁそれはそれとしてグラスに注ぎます。

グラスに顔近づけた時点で味がします。比喩でなく。

パンジェント(チクチクして刺激的、をさすティスティング用語)なスモークっぽさだったり、モルト本来の甘みだったり、ちょっと湿気のある樹木の香りがしたり。

ボトルの値段が15000円超えたあたりから、グラスの中に世界が見えるようになってきますね。

ダークコーブからは、静かな森の中、さっきまでちょっと雨が降ってて、止んだから、暖をとるべく手近な木で焚き火をしてるような光景が立ち上ってきます。

生木を燃やしちゃった時のあの乳白色の煙は、ほかにちょっと例えようがないような、密度の高い独特の刺激と香りなんですけど、そのものずばりの質感がグラスから出てきます。香りだけね。

グラスに顔近づけただけでここまでかけるウィスキーってなんだよ。まだ一滴も飲んでねぇよ。

 

もうかほりが爆発してそこらへんが森林になってるので飲みづらいんですけど、それでも口に含みました。

もともと度数高い分、ちょっと舌がピリピリするような刺激はまあそれとして。

シェリー樽由来っぽい甘みがそれと同時に、アタックしてきます。飲んですぐの最初の刺激のことをアタックと呼ぶ。

そのまま舌で転がすと、樽の木材であったり、チクチクする白煙であったり、モルトの甘みであったり、トロピカルフルーツみたいな甘みであったり、が何度も反復してまたその度に新しく訪れてきます。重層的って言うんでしょうか。

舌の上に渋みが残るのもチェックポイントっぽいですよね。大体、こういう感触のするウィスキーはちょっと日を置いて空気と水を含ませると一気に花開くやつ。

 

飲み込んでのち、口内に残るかほりをフィニッシュと呼びます。

ダークコーブのフィニッシュは、微量の渋み、ほんの少しのスモーク感と、甘いトロピカルフルーツでした。そしてめっちゃ長く残る。流石お値段相応のウィスキー。

わざわざ使いにくいiPadから1時間かけて記事を書くぐらいには素晴らしいウィスキーでした。

早く家の電波開通して。

 

 

ウイスキーの歴史 (「食」の図書館)

ウイスキーの歴史 (「食」の図書館)

 

 

本を貼ることに決めているので、最近読んだこれを。

あと一冊。

 

ウイスキーは楽しい!

ウイスキーは楽しい!

  • 作者: ミカエル・ギド,河清美
  • 出版社/メーカー: パイインターナショナル
  • 発売日: 2017/12/11
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この2冊を読めば、任意のウィスキーを飲んだときにスノッブどもに認められるような感想を饒舌に語れるようになります。

自らの内の未知と感覚を通して語り合う所業、実質マインドフルネスみたいなところあるので。

なので飲酒、意識高い人にもおススメです。「知で旨くなる酒」とはよく言ったものですね。

「だから男に好まれる」は実質マンスプレイニング。

私が殺した

ども。

 

群を抜いて重い記事だと思うので、心と身体が健康な時にどうぞ。

もしくは、死ぬことに良い感情を抱きかけた時。即刻ブラウザバックをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

夢を見ました。

病気で死んだ母親がひょっこり家に帰って来て、

父は蘇らずとも、母と二人、母が亡くなる前の団欒。

奇跡の再開を喜ぶ二人。

普通の人がそうであるように、過去に暗いところもあるけれど、明るい人だから、

ギャグなんか飛ばして、好きな料理を食べに行って。

好きな海辺へ行って、その近くでお茶したりして。

こたつで鍋を囲んだりして。

現実にも慣れてくると、考える余裕ができます。

母はどうやって生き返ったのか。

母親はエンバーミングされていたはずなのに、どうしてその心臓が動き出したのか。

そもそも、母は火葬しt

 

 

 

 

気付いた時に、夢は覚めました。  考えるべきではなかった。

ファンタジーでは、夢=虚構に気付くところから物語が動き出す類型があります。

気付かなければ幸せだった、という後悔、

それでも現実から前へ進んでいこうとする意思、

本で読んでこそ文字列ですけど、実際に体験したら尊敬ものですね。

 

 

俺がこの手で火葬場に連れて行った。

そもそも死ぬ3年ほど前から躁鬱で、楽しそうには見えなかったし。

そもそも、病気じゃなくて、首吊りではなかったか。

私は指一本触れられず、警察の人に降ろしてもらったのではなかったか。

そこに気付いたのは、覚めてからさらに4時間後でした。

 

仕事の話が欠片も出てない時点で、フィクションだとわかっただろう、

と覚めてみればわかるんですけど、夢の中だと中々思い至りませんね。

思い至ったら覚めるしな。そこら辺の力学。

 

エンバーミングで保存、が夢に出てくると、この本の影響を思い出しますね。

 

螺鈿迷宮

螺鈿迷宮

 

 

もしくはこっち。著者の先生に最近会って話をしたし、こっちの方が影響してそう。

 

デス・エデュケーション展開ノート

デス・エデュケーション展開ノート

 

 

 

 

私の奉じる哲学思想は、人間は原理的に分かり合えず、一人とか孤独とかそういう存在である事を明らかにします。

たまに見かける「共感なんか幻想だ」みたいな言説がそうですね。

世界=外部に対する、私とあなたの受け取り回路は、

その経験によって全く違う回路が出来上がっているのだから、

もちろん一つの現実から、二人は全く違うものを受け取るはずだ、みたいな。

一つの映画を見て、仮に二人とも感動したとしても、

その感動の内実は二人で全く異なるもので。言語にする時点で感動の二文字に回収されたけど、みたいな。

また、共感するということは、

素朴には、現実を、二つの違う回路を通して出力したのにだいたい同じ結果がでた、

みたいな話に取られます。

でも、現実には、私は私の回路しか通せないのだから、

相手の言っていることを私の回路に通せた、言い換えれば、私の範疇から一歩も出ずに、

あなたの「現実→回路→結果」を理解して、かつ私も同じ「原因→結果」を産み出したよ〜!!みたいな言説が「分かる〜!」に凝縮されています。

厳密な意味で理解できているわけではもちろんないし、

相当傲慢な発言だと思います。お前に何がわかんねん、みたいな話になります。

 

でも、この言説は人間関係の基本です。今は。おそらく昔も。

相手の感じたことを認め、寄り添い、一人じゃないよと呼びかけ合う。

聖書の1ページ目にも「人が独りでいるのは良くない」って書いてるくらいですから。

 

おそらく、共感するのではなく、相手を認めて、でも違う意見を持つことも認める、

そんな感じのことが、共感の代替案になっているのだと思います。

相当難易度高いですよね。これ。とゆーか私これ、理性の奴隷だと思うんですけど。

相手を認めるだけの成熟度。感情に任せて相手の意見を否定しないだけの倫理感。自己統御。

文字にしてしまえば短いものだけど、各々に照らし合わせてもらえれば、

その難易度がいかに高いかわかっていただけると思います。

これらをクリアした時に、自ずと、原理的に人間は独りであることが分かってしまいます。

自分と相手の差異を認め、自分の範疇に相手がいない事を認めるわけだから。

最後に必要なのは、現実と独りで対峙し続けるだけの強さです。さながら一時たりとて気の抜けぬ戦場。

職場、家族、社会、ネット、自分自身、ひいては物理的な現実

…こんなこと考えずに、素朴でいた方が幸せだと思うんですけど。そんなオチを付ける。

 

 

 

そういえば、母の死には、不審な点がありました。

母は首を吊って亡くなり、司法解剖を経ても、不審な点のない縊死と認められています。

完全自殺マニュアル読んでたらそりゃ首吊りになるか。

コインを使うこともなく、身長と同じくらいの棒からでも、人は死ぬことができます。

発見時は著しいチアノーゼのみで、垂れ流しとか言うような状況ではありませんでした。

ご飯食べれてたはずなんですけどね。あと冷房入れてたみたい。

死亡予想時刻の1時間ほど前には、お手伝いさんと談笑しつつ。

検視と解剖で、時間にズレがあったのも確かですね。ズレてたことしか覚えてませんけど。

亡くなる日の朝に、珍しくミルクティーを淹れてくれたのを覚えています。

死ぬ日の朝に入れるミルクティーはどんな味だったんでしょうね。

ども。

 

久しぶりにページ右側のリンク集を見返しました。

ほぼほぼ、ブログごと消えてますね。もしくは全記事削除。

就活に響く年ごろの人たちばかりリンク集にいるのが主な要因だと思うんですけど。

それでも、残っていても最終更新が「大学生になりました!」みたいなのばかりでね。

 

リアルの、中学校の部活周りでブログが流行ったから始めた人々がほとんどなだけに、

その後のTwitterブームやラインに飲み込まれていった気がします。

考えたこと思ったことをアウトプットする場も、今となっては各種タイムラインなんでしょうね。

今どきの中高生はどうやってネットでリアルの人たちと関わるんでしょう。もうわかりませんね。

 

 

ところで、帰宅途中にたぬき見たんですけど。

深夜一時に重たい体を引きずって家路を歩いていると、前方でごみ袋を漁る影が見えたんです。

すわ猪かと思いつつも、あまりに小さすぎるので近寄ってみればたぬきでした。

捕まえてたぬき鍋にしようと思ったんですけど、逃げられてしまいました。残念。

発想が日本昔話なんだよな。ここまでくると発想がフィクション過ぎて面白みがない。

 

昨日のブログで、絵画の鑑賞の仕方について考えました。

あれ、題材が絵画に代わってるんですけど、元々は速読の話でして。

最近はやりの

 

1冊3分で読めて、99%忘れない読書術 瞬読

1冊3分で読めて、99%忘れない読書術 瞬読

 

 

これとかね。

 

計算しやすいように540ページの文庫本を想定するんですけど、

1秒で3ページを読むことになります。

0.33秒、ページをめくる時間を考えると実際にはもっと短い時間で読むことになります。

実際にこのスピードでページめくっていただければわかるのですが、

内側2~3行は視界に入らないんですよね。

美術館の例えでも、流れ作業の鑑賞の中で目に入らない部分が必ずあるはずだ見たいなこと書こうとしてたんですけど。

本を読んだってなんなんでしょうね。読書経験って何なんでしょうね。

 

2桁ページしかないテレヴィジオンとか3分速読で理解していただきたいんですけど、

 

テレヴィジオン (講談社学術文庫)

テレヴィジオン (講談社学術文庫)

 

(文庫の中でも高めの講談社学術文庫にして600円、100ページ未満という破格の値段と薄さを誇る本。

ポストモダン思想最難関とも呼ばれるジャック・ラカンの最良の入門書(自称?)。

しょっぱなから説明の無い専門用語の嵐でさっぱり理解できません。10行が苦痛。

「入門」とは何かについて考えさせられますね。門に入るのもおこがましいってか。 )

 

しっかり予防線が張られていました。

「大前提として、予備知識がある本を選んでください」って書いてあるんですね。

素朴に、素人が洋書やら哲学書やらを急にスラスラ読めるようになると思うなよって。

現実的でいいですね。好きですよ。

 

この本の読書法は、速読法の中でも「最低限の単語や主語だけみて、文章は後追いのイメージで脳内補完する」タイプに近いように見受けられます。

私も物語とか読むときはまさにこれです。記憶する必要ないし。

この方法を使うと、ハリポタクラスを一日20冊とか平気で読めるんですけど、勿論ながら問題が生じます。

何回読み直しても、読み直すたびに、以前の読書で読み飛ばしてたところが出てくるんですよね。

自らの認識できる範囲の不完全なテクストから、自らの理解できる範疇のみを理解する、という意味で、自分勝手な読み方だなぁと我ながら思います。

遅読すればちゃんと読めているという意味ではなく。

 

この読み方で、何を何のために読むんでしょうね。

そして、予備知識があるとはいえ、物理的に、全ページに目を通すスタイルでの1冊3分は物理的に不可能なはずです。

そういう裏読みであっていてほしいなと思います。

 

 

ども。

 

最近は明るい月夜が続いていますね。

満月に近い月は一層神秘的に見えます。

雲がかかっているとなおさら。

 

3行にして既に話の方向性を見失いましたね。何に持って行こう。

 

風景画が好きなんです。特に、月夜の。

アルヒープ・クインジやカスパー・ダーヴィド・フリードリヒらへんが特に。

気になったら見てみてください。ロマン派っていうんでしょうか。

ロシアのロマン派の人たちとか結構私の感性にキます。イリヤ・レーピンとか。

画集とか売ってないかなぁ。

 

絵が「ふるえるほど好き」になる―MAYA MAXXのロシアの名画と旅ガイド

絵が「ふるえるほど好き」になる―MAYA MAXXのロシアの名画と旅ガイド

 

 

「画集 ロマン派 ロシア」で検索かけて出てきた本です。

ブログ書くたびに読みたい本が増える。 

 

あんまり話が広がった感じしませんね。

 

そういえば行ったんですよ。今話題のフェルメール展。

こうやって話題を広げればいいんですね。適当な話題。

 

 

かろうじて入場制限かからないぐらいの込み具合でした。

フェルメールの描いた絵自体は10点も展示されてなくて、一番最後に。

イントロダクションとして、当時のオランダの各ジャンルの絵画が並びます。

予習をしてからフェルメール本番に挑める構成って言えばいいんでしょうか。

絵画には、書かれた当時の時流/お約束がありますからね。

ゆっくりと当時のスタンダードを学びつつ、イントロダクションも楽しみながらフェルメールに向かえる良い構成でした。

しかし光源左上に置くの好きですねこの人ら。

 

 

しかし、あまりの人の多さに驚いたんです。下手したら入場制限かかってたらしいですね。

開催直ぐに行ってるくせして私、正直フェルメールの何がいいのかよくわからないんです。

ここまで人をフェルメール、ひいては美術館に駆り立てるものって何なんでしょう。

私は性格がねじ曲がっているので

フェルメールのネームバリュー

・執拗なまでのメディアミックス

・ここ最近の教養ブーム

・そのなかでも去年後半あたりから顕著な美術(館)に行こう本

・ここ2~3年の、暗闇と光に焦点を当てた絵画解説書

あたりが理由として思いついてしまいました。

積極的にフェルメールを求めているのではない、みたいな論調ですね。

「話題だから行っておこう」みたいな人が一番多いんじゃないかなーという主観です。

ザイオンス効果の為せる技。

 

そして、話題だから行ってみた人々は、絵画をどう鑑賞・経験するんでしょう。

例えば私は、大学や読書である程度美術史や技法を習ったので、それを用いて分析的に絵画を見ます。前述の、光源の位置とか。

象徴や構成など、読み解くための知識をもっているので、画家が見せたかった物語をほぼ再現することができます。中高の国語でいうところの、作者の気持ちですね。

美術展のキャプションでもある程度解説されているため、「絵画を(自己流に補完して)読み解く」といった経験が可能になるんでしょうか。

 

この前置きそこまで重要じゃないですね。もういいや。「話題だから見に行った人に限って絵は感性でるとか訳分らんことを言う」という主張が伝わればよいです。

 

私が気になっているのが、「感性」で絵画を見る人たちです。

絵画を外部知識で「読み解く」、絵画に自分を代入して「没入する」、絵画を材料にして「空想する」、絵画のある非日常の「空間を楽しむ」。

この辺りのなんとなくわかるんですけど、「感性」で楽しむって何なんでしょう。

コトバンクとかで「感性」と調べても、この場合の「感性」に当たる理解は見つけられません。二行前の文章みたいな鑑賞方法が、辞書的な意味での「感性」に近いでしょうか。

 

一番多い用例は、「前提知識を排して、自らの感性で鑑賞する」

と言ったものでしょうか。

この言葉通りには、

「特に何もしなくても自らには万能の感性が宿っており、それは混雑した美術展での流れ作業な絵画鑑賞にすら堪えうるレベルのものである」

という傲慢さがあります。ギリシャ神話とかで真っ先に殺されるタイプの人間ですよ。

傲慢さというより素朴さに近いよね。

その感性で受け止めたものの具体的な感想書いてみろよ。

 

というわけで導き出した結論は、「①絵画の見方なんて人それぞれだけど、②(流れ作業で10秒くらいしか見られず)満足に受け止められていないことを、③感性の一言でごまかすのは違うやろ」というようなものでした。

追加としては、「大して興味もないのに、商業に踊らされて美術館に行くようなやつのなんと多いことか」ぐらい言おうと思います。ビジネスライクですね。みんなで経済回していこうな。

 

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい

 

 

最近よみました。ここで紹介することに表題以上の意味はありません。

 

合唱曲「夜もすがら」の歌詞の意味や解釈

ども。

 

 

ここ2年ほどの欲望は「キリスト教関係に限らない合唱曲を歌いたい」だったんです。聖歌隊だから仕方ないんですけど。それで居場所もらってるようなもんだから。

そんな欲望をかなえるべく、誘われた知り合いだらけの混声合唱団に入りまして。

いつか一緒に歌ってみたいと思ってた人たちと歌っています。

そこで今日(昨日?)初めて練習した「夜もすがら」が、エモポイント満載の名曲でして。

まじめに解説文を書いてみようかなと思った次第です。

軽い気持ちで検索かけたらデマの嵐で、ちょっとイラっとしたのもあります。

 

 

参考資料としての音源。


千原英喜/「方丈記」より「III.夜もすがら」 CHIHARA Hideki: "Yo-mo sugara" (All through the night) from "HOJO-KI"

 

参考資料としての歌詞。

 

①夜もすがら/独りみ山の/真木の葉に/曇るもすめる/有明の月

②あれば厭ふ/そむけば慕ふ/数ならぬ/身と心との/仲ぞゆかしき

③見ればまづ/いとど涙ぞ/もろかずら/いかに契りて/かけ離れけむ

(夜もすがら/独りみ山の/真木の葉に/曇るもすめる/有明の月)

 

2首目だけ鴨長明集、残りは新古今和歌集から。

 

参考資料としての現代語直訳と解説。

 

(和歌所歌合に、深山暁月といふところを)

①夜もすがら/独りみ山の/真木の葉に/曇るもすめる/有明の月

①夜通し、一人で深山の木の葉から、曇って(いるが)澄んでいる、夜明けの中の月を見ていた。

・深山→深い山。人里離れた、などの含意がある。「一人見(る)/山の」と「一人/深山の」をかけたダブルミーニングっぽいですね。上手いわ。「独り身」かとも思ったけど、文節的にそれはなさそう。

・まきの葉→真木の葉。検索で出てくるのは「針葉樹の葉」説ですが、「真」は「(建材として)優れた」を意味する接頭辞なので、厳密にはそうと限りません。同様に、実在する種別の「槙」「槇」でもありません。建材として優れた木に針葉樹が多いとかですかね。

有明の月→夜が明けた後の残月。夜明け頃の月。仏教的な含意では、無明を照らす如来による救済の光、転じて如来自身を指すこともあります。光は如来の力そのものであり、眉間の白毫から発し、世界をあまねく照らし出すんだとか。

 

・曇るも澄める

明らかに逆説の意味で「も」が使われてますね。単純に矛盾している。

→単純に取れば、「針葉樹の葉によって所々見えなかった月が、時間の経過で葉を離れて澄んで見えた」となるものの、「も」が逆説なのでそれっぽくないですね。

ここであえて「も」を使うことで、矛盾を生じさせ、意味を一つに固定させない、という高度な技法です。

自然さを追及するなら、月自体は澄んでいて、詠み手側になんらかの理由があって曇っている、と考えるべきでしょうか。

これ、検索かけたらなぜか涙のせいになっていて。

→「月が曇ってみえた原因は、葉ではなくて、自分の涙であったことを、夜が明けても残った月の光から悟った」なる解釈が、新日本文学大系にあるみたいですね。

筋も通ってるし、いい感じに感情も揺さぶられて好きです。

→「実際には葉or涙で曇っているが、心眼には澄んで見えている」なる解釈もありました。「心眼」は文字通り、若しくは「(仏の)智慧」を指すため、有明の月とも対応してていい感じですね。

どうせ全部含意してたとか、そんなオチだと思います。

 

鴨長明は晩年隠棲の中で『方丈記』を著したことで有名ですが、この句を詠んだ時はまだ宮中勤めです。自分が隠棲する未来は知りません。なんなら、源家長日記に「まかりいづることなく、昼夜奉公怠らず」とか書かれてるので、めちゃくちゃ真面目にキャリア積んでる頃です。出世のために頑張ってるんですけど、詳細な理由は後述。

 

二首目。

(述懐の心を)

②あれば厭ふ/そむけば慕ふ/数ならぬ/身と心との/仲ぞゆかしき

②(身体が)俗世にあれば(心は)それを嫌がり、俗世に背けば(身体・心が)それを求める。物の数にも入らないような身体と、それを厭い、慕う心との関係はどうなっているのかわからない。

 

もちろん、※諸説ありますシリーズなんですけど。括弧内は適当に外してください。

いくつか解釈の余地がありますね。

この歌を詠んだのが、青年期の鴨長明であることがカギとなります。

彼の青年期は、優雅な貴族ライフを過ごしてたのに父が急死して孤児になり、懇意だった後ろ盾の貴族も全員死んで、運命の歯車が大幅に狂ったあたりです。

当時の社会で、出世するために必要だった家柄と後ろ盾が消滅しました。

とある理由のために出世しなければいけなかった鴨長明、このせいでめっちゃ頑張る羽目になりました。がんばれ。

 

解釈一つ目。

身体が俗世にない状態、は即ち死を表していると考えられます。

生きてるのは嫌だけど、死ぬのも嫌だ、もうわからん、みたいな自殺願望の歌みたいですね。

解釈二つ目。

身体が俗世にない状態、は、俗世からの離脱、即ち出家を指すと考えられます。

この社会は嫌だけど、いざ出家するのもしんどい、もうわからん、みたいな出家願望の歌みたいですね。どうせ出家するんですけど。

 

その境遇なら死にたくも出家したくもなるよなぁ。お疲れ様です。

でも出世のために頑張りました。精神的な支えともなった、音楽と歌をもって。なぜ出世か。

 

鴨長明の歴史が分からないとよくわかりませんね。

鴨長明の家系、その中でも彼の祖父・父は、下鴨神社賀茂御祖神社)の正禰宜惣官を世襲する家系の生まれでした。要はトップ神官。下鴨神社は、正一位の神階(要はトップ)をもつ神社であり、トップのトップともなれば莫大な権力、莫大な富。

おそらく鴨長明は、いずれは祖父、父と同じ正禰宜惣官の職に就くことを願っていました。

なのに、前述の通り、当時の出世の要件であった家柄と後ろ盾とを失いました。あとは滅茶苦茶に頑張るしかない。

しかし、その願いはかないませんでした。

彼が50歳になったころ、下鴨神社の摂社、河合社の禰宜に欠員が生じます。

河合社禰宜下鴨神社権禰宜下鴨神社禰宜、の順で出世ルートがほぼ固定だったため、当然ながら彼はその後任を目指します。

家柄と、また日ごろの頑張りに報いる意味で、人事トップこと後鳥羽院も、鴨長明を任命するつもりでいました。

が、前任の正禰宜は、自らの息子を後任に強く推します。まぁ、子孫に出世ルート引き継げるようなもんだから必死になるわな。

曰く、音楽や歌に明け暮れる長明よりもうちの息子の方が神社への貢献度が高く、長明よりも息子の方が貴族としての位階が上で、現職でその職に就いている私の長男は重んじられてしかるべき、と。

こうして、鴨長明は、先祖代々の職を引き継げないことが決定します。

後鳥羽院の出した救済策も断って、失意の中引きこもった鴨長明が、ふと葵を見て詠んだ歌が、三首目です。

 

(身の望みかなひ侍らで、社のまじらひもせで籠りいて侍りけるに、葵をみてよめる)

③見ればまづ/いとど涙ぞ/もろかずら/いかに契りて/かけ離れけむ

③諸葛が視界に入れば、真っ先に、いよいよ涙がでてしまう。どんな因縁があって、下鴨神社との縁が切れてしまったのだろうか。

 

・諸葛

→桂の枝に、葵の葉を組み合わせた飾り。賀茂の祭りで用いられ、髪に「かけ」たり壁に「かけ」たりする。「葵を見て」「「かけ」離れけむ」に対応。

・身の望み

→いずれは下鴨神社禰宜に、との望み。

 

 

 

歌詞の解説だけでこれですよ。3000文字。読むのおつかれさまです。

適度に感情移入すればめっちゃエモいと思います。

 

先祖代々からのお父さんの仕事を継ぐために、身にかかる様々な不幸をも音楽と歌を支えに乗り越え、長年真摯に頑張ってついにその機会を得たが、最後は音楽と歌のせいでその願い叶わず、失意の中に出家して、最終的にたどり着いた先は仏門ですから。救われないね。

 

 

 

この合唱曲ならではのエモポイントは、この後に一首目が繰り返されることにある、と私は思います。

 

歌い出し、一首目では、月夜から暁までの長い物語時間(の経過)と、俗世から離された神秘的な空間が提示されます。

続く二首目、三首目では、これまでの鴨長明の人生の振り返りがなされ、同時に、それが苦難に満ちたものであったことが示されます。

曇る月夜に対応していますね。夜の時間が経過していく中で、この人生を振り返りでもしていたんでしょう。

 

二、三首目を聞いた後に繰り返される一首目。

読み手が、鴨長明の救われない人生を知った後では、もう一度リフレインされる一首目の質は最初と変わらざるを得ません。一首目の仏教的な含意を思い出してください。

 

夜もすがら独りみ/山の真木の葉に曇るも/すめる有明の月

 

夜、すなわち無明、煩悩に囚われて、智慧の光が届かなかったこれまでの人生。

それを厭い、出家・隠棲した孤独な暮らしに至ってついに、(真木の葉に)遮られて曇っていた智慧の光は、人生の夜が明けた暁の中で、救いとなって私に届いたのだ、と。

 

 

これで「真木の葉」でなくてはならない理由まで思いついたら完璧なんですけどね。

一応、この時代は樹木は人の心を読めるとされていたらしいので、

「出世に囚われていた過去の自分を、その出世欲の心を葉に例えることによって、智慧を自ら覆ってしまっていた様子を示した」なんてこじつけは用意しました。

このこじつけに従うと、曇ったとはいえ智慧の光は届いていたはずなので、

「出家しないといけないのはほんとはわかってた、遮ろうにも、運命はそうさせなかった」みたいな話にもつなげられますね。楽しそう。

 

もう飽きました。タイトル通りの目的は達成したので許してください。

ども。

 

今回の更新停止の件につきまして、事の経緯を説明いたしますと、当初の予定では「3日坊主→3週間坊主→3か月坊主」として3回ほど冒頭ネタを続けていくつもりでした。

見事に3週間目の更新を忘れてしまい、苦肉の策の30日目も忘れて寝てしまったために、もうどうでも良くなってきた感が強くて適当に再開しますね。

そんな言い訳。適度にネタを追及しない。

今後の対応といたしましては、出来る限りの更新とか言っとこうと思います。それが真摯。

誠に申し訳ございませんでしたぁ。

 

 

読書管理アプリの話です。

管理という言葉だけでアレルギーを感じるフーコー狂信者な私ですが、正直読書状況とか覚えてられないわけですね。

ブログを書いている机に43冊、常用カバンに3冊、背後に33冊。これ本棚の無いリビングの話な。

仕事の関係で覚えることが多くて、畢竟そういう本が増えてるんですが。

積まれた本から未読の本を探し出す作業がめんどくさくてですね。

ジャンル被りの同じようなこと書いた解説本が多いので、通読したかどうかもわからずですね。

もうあきらめてブクログを導入しました。いやだったけど。アレルギーだから。

 

ブクログの、私にとって便利な点は次の2点です。

アプリ版の、カメラでバーコードを撮影すると本棚登録できる機能。

webとアプリで同期できる機能。

同期できるのは今どき当たり前な気がしないでもないんですけど、

単純に冊数が多い現状、カメラバーコード機能がめっちゃ便利でして。

一瞬で登録が済みました。かつ、新規で一気に登録するのも1分かかりませんね。

書名検索すると似た本が出てくるために、読みたい本がたまっていくのが唯一の憂いですね。

「本棚に読んだことのない本がない人生なんて」とは言いますけど、

それでも気になる本は読みたいですね。読書スピードも格段に落ちてきたし、リハビリせねば。

 

 

本と鍵の季節 (単行本)

本と鍵の季節 (単行本)

 

 

この本ですよ。表紙の色調が好みすぎて、思わず買ってしまいました。

 

毎回こういうこと言う割に、私、Twitterで嫌というほど目に付く「『ニムロッド』読みました。装丁が素晴らしいです。黒色が…」みたいな発言が嫌いです。

買って読んだにもかかわらず、感想から逃げて装丁かよ。

同じような理由で、この本の感想ツイでよく見た「男子高校生の、さわやかだけど(ちょっぴりor少しだけorほのかにetc…)ビターな…」も嫌いです。

それ、言い換えてるだけで、帯に書いてあった言葉やん。それ以外のことは。

あなたの読書経験は帯や装丁ですか。

自戒を込めて。同族嫌悪みたいな気がしてきました。過去のブログを読んでて自分が要求するレベルの記事はないはずだ。

 

自分が要求するレベルの感想。

米澤穂信、現役男子高校生かと思ったんです。それほどまでのリアリティ。

自分が男子校高校生してた時の、「距離感」がそのままそこにあるんですね。

特に人を好む嫌うでもなく、親しくとも付かず離れず。「行けたら行くわ」ぐらいの。

未熟さゆえに、人の事情に土足で踏み込む。考えが足りずに、傷つける。

無関心をあくまで装うも、相手の人生の事情はしっかり覚えて気にはかける、この距離感。

食い違う価値観も、そのまま受容して、感想を述べるだけ。

 

ドラマ映えする「熱い友情」の対極ですね。ゼロ度の友情。

「友情」という言葉になにか熱いものが含意されている気もします。いい言葉が思いつかない。

自分と同じレベルの相手として相手を認めているし、

自分とは違うものとして認め、裁かない。他の登場人物をも。

高校生ぐらいの、傲慢で、自分を低く見積もらないことによる達観。諦め。

ここまで書いてみると、たまたま頭のレベルが合った幸運な二人の関係な気がしてきますね。同じ文化を共有して、かつ回転数合った相手と過ごすの楽しいだろうなぁ。

 

腐女子の人には「男子高校生のフリーズドライ」とか言って勧めました。

現実の男子高校生の質感が、生のままそこにあります。

 

自分の代入でしか本読めないのどうにかしたいですね。普段あれだけ共感バカにする割にね。

その形式でしか人は本を読めないとかいう指摘もあるんですけど。

 

ども。

 

大罪人でございます。ブログの毎日更新を志すも、1日で終了させるタイプの。

思いつきで行動するにもほどがありますね。

それでもふてぶてしく更新しようと思います。

義務にしたら楽しくなくなりますからね(露骨な逃げの姿勢)

 

今年が始まってからというもの、おそらく書店に行き続けています。昨日もそうでした。

昨日は梅田駅周辺の大型書店に。

となると思いつくのが、JR駅ビル内の蔦屋書店とNU茶屋町内の丸善ジュンク堂書店

片や巨大なワンフロア、片やビルの5階分。見るには飽きませんね。

 

梅田蔦屋書店。

ビルの9階に会って、エスカレーターから入れば目の前にスタバ、エレベーターから入れば目の前に雑貨屋、と、あんまり書店っぽく無いスタートです。カジュアルですね。

長方形のフロアの中心に、円形にスタバと座席があって、それを更に大きな円で囲むように本棚が展開されています。

そして、その円の外側には、柱を使って雑誌が配置され、壁際にまで本が並んでいるところもあります。外周の半分くらいかな。

残りの外周は、多種多様な別店舗(雑貨屋、文房具、マッサージ、etc…)。そして、その別店舗とリンクする本が、美術館の企画展のようにフィーチャーされて配置されています。

従来の書店と異なる点を探せば枚挙に暇が無いんですけど、一番推せるところはその整理された雑多さですよね。軽々しく多様さって言いたく無い。

本から広がる現実まで思い起こして。とか言っとけば許される気がします。

場所柄だけに、ビジネス書が強いですね。その上、見た感じでは、どのジャンルでも新刊に強いでしょうか。

また、学者向きでなく、初心者〜中級者に向けた本が多いようにも見受けられます。まぁ滅多に買わんしな。買う側としても。

 

何か新しいものに足を突っ込む時に、触りや走りの本を探すために来ると良いのかな、と思います。

画期的なことに、書籍の各ジャンルにコンシェルジュを設けているので、その人たちに聞いてみてもいいかも知れません。私は聞いてないけど。聞いてから書けよ。

 

書店と言うよりは、エンタメとか、美術館とか、そんなものに近いのかなと思います。単体の書店とamazonが競う時代に、先ずは書店に来て、楽しんで、慣れてもらうことが先決ですからね。時代だ。

 

ここまで、日記の程を装った長い前置きでした。まだまだ続くんじゃよ。前置きが。

 

 この梅田蔦屋書店、武雄市図書館の例もあってあまり足運んでなかったんですけど、ある企画をきっかけに定期的に通うようになりました。

 それが、「読書の学校」です。

 

現代に生きる私たちに関連するテーマを設定して、それに関する書籍を三冊、蔦屋書店と出版社が選書して展示・販売します。

まぁ私の厨二心をくすぐるテーマが多いのも確かなんですけど。元々相性が良いのかも。

選ぶ出版社も中々攻めた選び方してるなぁと思います。そこも好き。

出版される本は減ったとはいえ、それでも本が溢れる中、自分で選ぶよりは、専門性の高い人にオススメされて選びたいところですよね。多分。リスク的に。高いしな。

そんな企画が自分にベストマッチだったので、展示が変わるたびに行っています。

 

本日はその中から。今は第三講なんですけど、一個前の第二講で紹介されてた本です。やっと前置きが終わったよ。お疲れ様でした。

 

ストリートの精霊たち

ストリートの精霊たち

 

 まごう事なきジャケ買い。今ではもう覚えてないんですけど、読書の学校の帯に載ってた推薦文も素敵でした。

文化人類学らへんの本なんでしょうかね。エチオピアゴンダール記、です。

 

そんな分類はそれとして、単純に読んで面白いんです。

 

とりあえずフィールドワークしてみたり本書いてみたりするのは良く見るんですけど、この本の特徴はその語り口。ここまで魅力的に、かつ語り分け、られるこの人の文章力よ。

15章くらいあったと記憶してるんですけど、語りの形式をそれぞれで使い分け。時には読者と物語の間に語り手が強く現れ、時には語り手がほぼ透明になって。効果的にそれを行う事で、エチオピアゴンダールでなくて、関わったその一人の人間の人間性すら感じられるようです。会ってないのにね。

 

この手の本、内容はともかく読んで面白く無い本が多かったんです。それだけに強い衝撃でした。上から目線にもほどがあるな。多方面に殴りかからない。

ども。

 

明けましておめでとうございます。

今年こそは、あのころのように、と毎日更新を志すもお正月の雰囲気にのまれて

既にマイナス三日坊主となってしまいました。

大体こんな感じですが今年もよろしくお願いします。

 

 

記事のネタだけは勝手に思いつくんですけどね。

働いて帰ってパソコンを開いて文章に昇華させるまでの関門と自堕落が。

2018年に読んだ本とか紹介しても良かった気はするんですけど。

またいつかします。どうせやらない。

 

 

新年早々本を買いました。昨日。蔦屋書店で。本屋初め。

すごいですね。蔦屋書店だけは平成の先を行ってましたよね。まだ平成ですけど。

東京行ったときも代官山蔦屋書店までわざわざ行きましたね。

緑生い茂るオシャレな代官山の雰囲気に飲まれかけてたのですぐ帰っちゃいましたけど。新幹線の時間もあったか。

代官山店は洋書めっちゃ強くて、みてて楽しかったです。お仕事らへんのところで何冊か買いました。

例えばこれ。

 

 

『~は楽しい!』シリーズ、4冊あって、残りの3冊は邦訳されてるんですけど、

 

ウイスキーは楽しい!

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カクテルだけまだ邦訳されてないんです。手に入れた。フランス語だけど。

たま~にフランス語の単語とか調べながら読んでるんですけど、もしかしなくてもそろそろ翻訳されそうですね。

まぁ、その時はその時で。

 

 

このシリーズ、良いんですよ。

どうやら教科書のつもりで書いているらしく。但しフランス人向け。

『ワインは楽しい!』なんかは、比較的イントロダクション控えめで、品種と産地の一覧にめちゃくちゃ力の入った構成となっています。

モニターぐらいある本の1ページに1産地・品種ですからね。

広辞苑といい勝負な厚み。重み。

この本、おそらく射程は、ワイン初心者(一般的な真実・迷信の類を知っている)。

迷信の排除と、再教育に近い懇切丁寧なイントロダクションです。

一番伝えたいことはティスティングの楽しみっぽいよな。

だから網羅的に乗せるんですかね。

 

 

対して、『ウィスキーは楽しい!』は、日本の入門本とあんまり変わりません。目次だけなら。

本が大きい分、図版が多く、間も取ってあるので読みやすいですね。

そして、見開き1ページをウィスキーに関わる単語、人物、戦略にいたるまで使います。すごい。ホームバーの造り方に見開き使ってる本なんか初めて見た。

情報濃度は高いんですけど、本の大きさで中和してるところありますね。

読みとおすだけならそこまで時間かからないと思います。

 

 

このシリーズ、自ら「教本」と名乗るだけはありますね。

飲んで楽しむ、あるいは自宅で作って楽しむなら、

この1冊でたいていのHow toや知識欲は満たされてしまいそうです。

 

 

適当に昨日買った本でも載せとこうかと思ったんですけど、

適当に書き勧めたら昨日買った本のことに触れずに進んでしまいました。怖いね。

そういえば、このシリーズ良いんですよとか言いながら、明確に答えだしてないですね。

ぜひ読んで見つけてみてください。そんな感じでどうぞ。

まさか、適当に書いただけとかそういうわけではないd

ども。

 

 

物語論するとか言っときながら、最近になってやっと、イーグルトンの『文学とは何か』を読み始めました。

 

 

文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)

文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)

 
文学とは何か――現代批評理論への招待(下) (岩波文庫)

文学とは何か――現代批評理論への招待(下) (岩波文庫)

 

 古本屋周回って中々時間と手間がかかりますね。

カードゲームしてた頃は、雑多に詰め込まれた何千枚のカードから背取り?とか出来たんですけどね。

いかんせん媒体が大きい。かつ多い。

結局、大学生協の5%引きで妥協しました。

お金と時間のバランス考えて生きてきましょうね。そんな感じの教訓。

 

近況。

昔からずっと耳が遠くて、面白聞き間違いを多発するんです。

最近はATMの自動音声から還付金ならぬパンプキン詐欺を生み出しました。

ポップな語感でいいですね。

ビジネスに歪められた現代ハロウィンに対する風刺、みたいな感じで適当な現代アートにすればいいと思います。

ジャックオランタンに使うカボチャ自体、そもそも食用でないので存在が詐欺みたいなところはあります。

というか、元の伝説では蕪なんですけど。パンプキン詐欺。

 

 今日の本。

 

マンガでわかるジャズ: 歴史からミュージシャン、専門用語などを楽しく解説!

マンガでわかるジャズ: 歴史からミュージシャン、専門用語などを楽しく解説!

 

 おしごとのつごうじょうジャズの事は知らなければならないなと。

普段聴く音楽らしい音楽はクラシックや宗教曲なので、まぁ分からないんですよ。

それでも何とか知ろうとして、ジャズがわかる本を探していました。

この本に至るまでの経緯。

アプローチ1。

音楽的な形式として理解しようとする。

撃沈。クラシックみたいにしっかり、形式が決まってると思ったの、ド偏見でしたね。

どうも、テーマとアドリブで構成されているらしい事を理解する。

アプローチ2。楽譜。

 

 俗に言う黒本ですね。

見事にテーマとコードしか書いてない。

そりゃそうですよね。これからアレンジしてソロ弾くのか。すごいなジャズの人。

 

余談。

黒本も、賛否両論みたいですね。楽譜という媒体の特性上、ジャズの各曲の様々な調のバリエーションから選別した一つのコードでしか載せられ無いからって。

ここら辺、『讃美歌』から『讃美歌21』への移行に物申すみたいな言説と似たところがありますね。選曲の問題点の話でね。

選別する以上、何しても不正解なので、編集者が針の筵ですね。厳しい仕事だ。それはともかく。

 

アプローチ3。まんが解説本。

この本はそれに加えて、時間から解釈という強力な武器を備えており。

批評や解釈の時に、時間と空間の二軸から物申せば大体それっぽいことが言える事を習っているので、まぁ間違いなかろうと。

 

なんとなく分かってきました。

一見、裾野が広くて網羅しにくい分野に見えますけど、ある程度の規則性はあるんですね。

流れさえわかればこっちのもんです。

後は聴くのみ。

百聞は一見にしかずとは言えども、その百聞から何をか感じられる感性を持ち合わせていないもので。

ちゃんと勉強しましょうね。

 

たまに、「まんがでわかる…」を極端に敵視する人と会います。親でも殺されたんかってくらいに。

確かに、本物に触れた方が早いのはその通りなんですけどね。

哲学書とか、『罪と罰』とか、本物に触れて一読で何か理解出来たら化け物ですから。研究に寄与してくれ。

まんがでシリーズで自分の中に目次を作ること、大いに良いと思います。

禍根が覆い隠せないほど噴出してきたのでこの辺で。